続々々・メガネのつぶやき

思ったことを、思ったなりに、思っただけ。

「始まり」な「終わり」に

 8月2日に届いた、石川直宏、現役引退。ナオの近況を踏まえれば、誰しもが確信めいた覚悟を大なり小なり持ってこの知らせを受け止めたと推測します。

 かく言う私も、「あぁ、ナオはきっと今季でやめちゃうんだな」と感じた出来事がありました。篠田前体制下、なにやら雲行きが怪しくなってきて、チームに対する目がかなり厳しくなっていた中で迎えた7月8日、対鹿島戦。試合前から珍しくテンションを上げていたゴール裏にナオは歩みを進め、ゴール裏に集ったファン・サポーターを煽りました。

 

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 ナオは引退発表会見の中で、「プレーできない分、言葉で」という類の発言を残しました。ブログ、ツイッター、ファンミーティングなど、元来からプレーに限らず自らの言動で自らを表現し、ファン・サポーターとも積極的に触れ合ってきたナオ。しかし、試合後ならともかく、試合前にこうしてゴール裏に出てきて、短いながらありったけの言葉を伝える機会が生まれるとは、想像だにしていませんでした。

 この機会でなければいけなかったわけではない。けれど、もしこの時すでに引退する決断をほぼ固めていたとすれば、この機会しかなかったのでは?そう思った瞬間私は、横で見ていた妻に「ナオ、今季でやめちゃうかもね。」とつぶやいた記憶が残っています。

 営業部の大奮闘もあり、この試合は42,000人超を集めました。そして、近年ではちょっと記憶にないくらい、味の素スタジアムが「ホーム」になっていました。試合は残念ながら引き分けに終わりましたが、選手は最後まで戦い、ファン・サポーターは最後まで純粋に勝利を信じて声を出し続けました。その端緒となったナオの行動からは、今思い返しても相当な思いを感じ取ることが出来ます。

 

 11月23日に届いた、徳永悠平、V・ファーレン長崎への完全移籍。長崎のJ1昇格は、よそ者ながら我がことのように嬉しく思いながら見ていましたが、その数週間後、スポーツ新聞でこの報が出ました。

 ナオは、その時が来る覚悟を持っていました。けれど、トクはいわゆる「ワン・クラブマン」として、その歩みを止めるまで青赤の一員でいてくれると、心のどこかで勝手に思っていたので、驚き以上に呆然としてしまいました。

 今季はやや出番を減らしていたとはいえ、(11/23時点で)23試合に出場。さかのぼれば、J1で358試合、J2で37試合、FC東京の一員として全ての公式戦を合計すると510試合出場。なんと言いますか、ベタですけど「いて、当たり前」とここまで当たり前に言える選手は、かつてのJでも20指いたかどうか。それぐらい、私にとっては偉大な存在でした。

 

 そんなナオ、トクとのラストマッチ。二人が見せたプロフェッショナルぶりは、さすがの一言でした。

 試合後、安間監督は「ナオもしっかりと最終戦にコンディションを合わせてきて、戦力としてグランドに立っているし、トクも全てを出し切ってくれたと思う。それに対しては満足している」と語りました。トクはともかく、ナオの起用はともすれば試合全体を「花試合」にさせかねないリスキーな選択だったと思いますが、開始5分、10分でその選択を、ナオ自身がありあまる説得力でねじ伏せてみせたのを見て、笑われるかもしれませんが、笑いが止まりませんでした。「おい、マジかよ。こんなことあるのかよ!」って。

 かたやトクも、これまでなんとなくぎこちなくやっていた3バックの1角で、これまでにないくらいイキイキとしたプレーを見せていました。攻めては室屋を高い位置に押し上げさせながら、相手がそこに食いつけば自らが空いたスペースに上がっていく。守ってはチャン・ヒョンス、橋本と協力しながら中を固め、室屋と協力しながら外を消し、空中戦もガッチリかます。ナオとはちょっとニュアンスが違う、「いやいや~、それもうちょっと早くからやってよ~」という笑いが止まりませんでした。そうして15分が過ぎ、30分が過ぎ、45分が過ぎ。試合は花試合どころか塩試合の様相でしたが(苦笑)、ナオとトクの躍動感に他の選手たちも乗って、前向きにプレーしていたことには、素直に満足感を覚えたところです。

 そして迎えた57分、交替ボードに18が灯り、J1でのナオのプレーに終止符が打たれます。試合前に「何分まで」という話があったのか、それとも「行けるまで」だったのかは分かりません。ただ、どちらにしても、最後のJ1のピッチをもっと噛み締めて、万感の思いを込めてピッチを後にしても良かったはず。なのにナオは、時間を費やすのを惜しむかのように、走ってピッチを後にしました。

 試合後ナオは、「本当に勝ちたかった……。今はその気持が一番です。チャンスを与えてもらって、プレーしているうちにいろいろと欲も出て、『シュートを打ちたい、ゴールしたい、勝ちたい』という気持ちがどんどん強くなりました。」と語りました。恐らく、久々の、多くの観衆の前で、たくさんのお世話になった人たちの前でプレーしているうちにテンションが上がっちゃって、チームの勝利のために時間を惜しんだんでしょう。あまりにスッと替わってしまったので、私の周りでは「交替…って、ナオじゃん!おい、しかも走って行っちゃうよ!」と慌てて拍手をし始めた方もいましたが、それもまたナオらしい終わり方だったなと、2日たった今では思います。

 15時55分、試合終了。トクはいつも通り淡々と、しかしやりきった感を大いに感じさせる立ち居振る舞いに見えました。試合ごとに善し悪しはあって、達成感と不完全燃焼感を行ったり来たりしながら、試合を重ねていく。それを、プレーヤーとして500回以上繰り返してきたこと自体、尊敬以外の何物でもないですが、この日もまた、背伸びせずに自らが出来ることを実直にやり続けて90分を終えた姿を見て、私は得も言われぬ感情を覚えました。

 

 試合後のセレモニー。トクは、手紙をしっかりと読むという、これまた実直なスタイルで言葉を連ねました。そしてナオは、溢れる思いを止めることなく、けれどクチャクチャになることなくしっかりと言葉を紡ぎました。

 個人的な話になりますけど、私が年間チケットホルダー(現SOCIO)になったのが2003年。その年のFC東京のプレーヤーだった中でいまだにチームに残っているのは、ついに梶山陽平ただ一人になりました。まあ、14年も前の話ですから当然と言えば当然でしょうけど、それでも寂しさは募ります。もっと大げさに言えば、「一時代が終わった」となるでしょうか。

 ここ5、6年、あっちに行ったりこっちに行ったり、進んでみたり戻ってみたり、上がってみたり落ちてみたり、攻めてみたり守ってみたり。その結果、果たしてFC東京はどこに進んでいくのか、誰にも分からない状況になってしまいました。

 しかし、酸いも甘いも噛み分けた、東京で喜びも悲しみも味わったナオとトクの最後の姿を見て、残された者たちが何も感じなかったとは思いたくありません。残された者たちは二人に、これまでFC東京を作り上げてきた人たちに、来年こそ結果で報いなければいけません。

 言い換えれば、二人の「終わり」を次の時代への「始まり」にしてほしい、今はそう強く感じています。必ずしも、(古株が思う)古き良きトーキョーを引き継ぐ必要はないですけど、見失ってしまった「東京とは?」の解を、全員が力を合わせて見つける。その端緒が2017年12月2日だった。いつかそう言える日が来ることを信じつつ、改めてナオとトクに、万感の思いを込めて。

 

・・・ありがとうございました!