続々々・メガネのつぶやき

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2025年1月14日 雑感「FC東京」

2025年、FC東京の新シーズンがスタートしました。

 

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 アルベル・プッチ・オルトネダ、ピーター・クラモフスキー、二人の外国人監督に率いられたこの3年を振り返ると、個人的な感覚は「右肩下がり」となりましょうか。長谷川健太監督に別れを告げ、新たなアイデンティティを求めて歩みを進めたステージは、決して煌びやかなモノにはなりませんでした。

 もっと言うと、戦術がどうとか、人事編成がどうとか、親会社の意向がどうとか、それぞれに感じる部分はありますが、それらをすべてひっくるめて、この3年間は正直全く「ワクワク」しなかった、それに尽きます。

 

 なぜ、それぞれのクラブを応援し、それぞれのスタジアムに足を運び、それぞれの試合を観るのか?それは十人十色、百人百色でしょうけど、私は、FC東京の試合を観ているその時間、FC東京に関わっているその瞬間、心躍らせて「ワクワク」したいから。ただ、私が思うワクワクは、単純に勝ち負けが影響する話ではなく、「楽しい」という単語ともまた違います。

 勝った負けたに一喜一憂はしますよ、そりゃもちろん。でも、年ばっかり食って、もう20年以上年間チケットを買って応援している身からすると、勝ってるから好き、負けてるから嫌い、だなんて次元はとっくの昔に越えています。

 また、「楽しい」という感覚は、自分の中では割と刹那的なもので。その日、その瞬間、その場で見た光景が、感じた情景が心に響けば「あ、楽しい」と感じますが、そんな刹那的な感情だけで、いつまでも心がそこにひきつけられるとは限りません。言い換えれば、私はFC東京に対して「映画」ではなく「連続ドラマ」を見続けるような感覚を持ってい続けたいのです(もちろん、映画が悪いと言ってるわけではありませんよ())。

 

 そんな連続ドラマを飽きずに見続けるためには、「今日の話、楽しかったわぁ!」だけではなく「次回、どうなるんだろ?」とか「次は、何を見せてくれるんだろう?」といった、良い意味での余白が必要で。その余白に対して目がひきつけられ、頭が働かされ、心が躍らされる、それが私の中での「ワクワク」に繋がります。そうした意味で、アルベル体制下、クラモフスキー体制下でワクワクした瞬間は、ほぼありませんでした。

 アルベル体制は聞き漏れてくる限り、内部での軋轢に苦しみ、その座を追われることになったとかならなかったとか。いくら脚本・プロットが素晴らしかったとしても、監督と演者が同じ方向むけなかったら、見てる方がワクワクなんかできるはずもありません。クラモフスキー体制は、残念ながらそもそもの脚本・プロットが「うーん、味無くなったガム食ってるみたいだなぁ」レベルにとどまった、と言わざるを得ません。

 

 そんな3年を経て、今この瞬間がどうか?と言われれば、「まあ、それなりにワクワクしてますよ」になるでしょうか。そりゃそうだ、新しい監督を招聘し、選手の入れ替えもあり、これから待ち受ける未来が良い意味で読めていないから。そのワクワクが、単なる予告編詐欺に終わるのか、それとも、未来ある本編に繋がっていくのか。まずはその「第1話」を期待して待ちたいと思います。