続々々・メガネのつぶやき

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アルベルトーキョー追跡記 その1

 2022年シーズンの開幕ゲームから、1ヶ月が経過しました。途中、新型コロナウイルス感染症の影響により活動休止を余儀なくされた期間があり、今もまだ、コンディション面では万全と言えないなか、それでも新たなスタート直後だからこそ感じられるものもいくつか見えてきました。

 今日は、そんな個人的雑感を「追跡記」と称して書いてみたいと思います。その2があるかは分かりませんが、お付き合いください。




Chapter1 後追いの原理主義だからこそ

 改めて書くまでもないかもしれませんが、アルベル・プッチ・オルトネダという男は、トータルフットボールと称されたスタイルにより耳目を引いたヨハン・クライフ、その意思を受け継ぎ、より高みを目指したジョゼップ・グァルディオラ、この二人をほうふつとさせる「原理主義者」だった――わずか1ヶ月で、大半のFC東京ファンはそう感じたのではないでしょうか。そして、この「原理主義」は近年「ポジショナルプレー」と称されるようになり、トップトップから素人まで、プロからアマチュアまで、実に多くの人によって定義付けされ、言語化され、体系化され、今もなお盛んに議論・研究の対象となっています。

 そうして、ポジショナルプレーの教科書的なものが日々そのボリュームを増しているのと比例して、対ポジショナルプレーの教科書的なものもまた、日々そのボリュームを増しています。欧州の最先端では10年以上にわたって戦術のいたちごっこが続いていると認識していますが、近年、Jリーグにおいても急速に、このいたちごっこが見られるようになりました。

 そんな、ポジショナルプレーを中心軸とした右と左のつば迫り合いに、今季FC東京は後追いで参戦することとなりました。アルベル監督が正直に保険を掛けるようなコメントを発するまでもなく、成熟するまである程度は相手の対策に苦しむだろうな、と思っていた一方、ひそかにシーズン前は、こちらのやり方があまり知られていない(=相手の対策が的を絞れない)うち、実は勝ち星拾えるんじゃないか?と思っていた節もありました。

 ただ、ふたを開けてみたら開幕から1ヶ月も経たない3/12 広島戦、3/15 磐田戦においてあっという間に、しかも、異なる対ポジショナルプレーの解をぶつけられることに。単純に「(対)ポジショナルプレーって、こんなにもポピュラーなものになったのか」と驚くばかりですが、後追いの原理主義という一番ターゲッティングしやすいエリアに今のFC東京がいるからこその現象だ、と私は理解しています。言い換えれば、遅かれ早かれ、このタームは訪れていたのかなとも。



Chapter2 認知

 いきなりガツン!とした対抗を受けた、3/12 広島戦と3/15 磐田戦。前者は仕事の関係でテレビ観戦でしたが、後者は味の素スタジアムで観戦することができました。正直、コンディションには相当ばらつきがあったと思いますが、今日はそこをあえて考慮せずに書き進めます。

 ポジショナルプレー=常に正しい立ち位置を見つけ、取る。極端にシンプルにこう定義付けしたとして、では、選手に求められる一番大事なものは何か?――皆さんはどう考えるでしょうか。ここまでの1ヶ月を見た私が答えるならば、「認知」となります。

 この「認知」という言葉もまた、ポジショナルプレー同様に近年多くの指導者・メディアが注目し、重要視しています。いくつかのメディアから言葉を借りれば、選手のプレーは「認知⇒判断⇒実行」というプロセスにより成り立つもので、かねてから使われていた「判断(が早いか遅いか)」という表現は、今や「認知(が早いが遅いか)」と表現すべき、らしいです。…と、アカデミックな話をしたいのではなく。今季のFC東京を初めてテレビではなく現地で見た磐田戦の感想が、シンプルに「認知するのって、大変だこりゃ」だったのです。

 この日の磐田の守備に関する狙いは明確でした。外回りのパスにより前進したい東京に対し、磐田の取りどころも外側。特に、東京のサイドバックにボールが入った時にはボールホルダーのみならず、周辺含めて連動して圧をかけ、前半20分頃まではことごとく東京に難しい選択を強いることができていました。

 この流れの中で個人的に引っかかったのが、東京の右サイド。右センターバックに入った岡崎は、外回しを意識するものの、強い縦パスを入れることにもこだわっていました。この判断がアルベル監督の指示によるものなのか、岡崎自身の認知に起因するのかは想像の域を出ませんが、パスの精度を欠いた場面も目立ったので、結果だけ見れば無理やり感は否めなかった。ただ、認知の部分だけ切り取れば、外側に追い出したい相手の立ち位置や意図をしっかりと読み取り、その逆手を取ろうとしたと言える。よって、私は岡崎のプレーを好意的に捉えたい側です。

 ただ、問題は受ける側にあり。この日は右サイドバックが鈴木、右インサイドハーフが見た、右ウイングが内田でした。鈴木は比較的冷静に戦況を認知できていて、受ける位置は悪くなかったと思う反面、三田、内田は独りよがり…は言い過ぎかもしれませんが、鈴木の受け方、受けた場所、相手の立ち位置を正しく見ることができていなかった印象。練習でこの3人がユニットを組んでどれだけプレーできていたのか…とか、キャンプからの流れで主に使われていたポジションとは違うから…といったエクスキューズはあったかもしれませんが、そもそもの認知に関する資質・センスを感じられなかったのはかなり残念に思ったところ。後半3枚替えした際、青木⇒平川は(おそらく)もともとのゲームプランだとして、残りの2枚で下げられたのが三田と内田だったのは、残念だが当然と言わざるを得なかったと見ています。

 一方、左サイドも決してスムーズではなく。特に左サイドバックで使われた中村は手詰まりに手詰まり、序盤は右サイド以上にヒヤヒヤしながら見ていました。しかし、自分が狙いどころにされていて、安易に受けても手詰まりになること、同サイドでコンビを組んだのがドリブルに特徴のある荒井だったことなど、いくつかの要素をしっかり認知し、前半の途中からいわゆるハーフスペースのレーン(荒井と左インサイドハーフだった東の間)を駆け上がって相手を引っ張る、あわよくば、そこでボールをもらうという判断に切り替えたことで、荒井が良い形でボールを持てて、磐田も多少対応に困る場面を間接的に生み出しました。

 これだけにとどまらず後半は、相手が引き続き自分を狙ってくることを分かったうえで、ファーストトラップやターンによってどうにかマーカーを引きはがすチャレンジも認知からの判断に加えられていて、何度かそのプレーが成功することによってグッとボールと味方を前進させることもできていたように映りました。岡崎同様、精度は及第点に及ばなかったかもしれませんが、90分間自分・相手・戦況を的確に認知しようと試み続け、試合の中で判断を変えることができていたことは、私は十分称賛に値するものだと感じています。



Chapter3 セレクション

 今日は攻撃にフォーカスして取り上げましたが、守備に関しても、広島戦、磐田戦と続けて満足できるレベルにはありませんでした。それらも含めて、アルベル監督は常に「今はまだ、○パーセントしかない」「歩みを止めるつもりはない」「今季は60パーセントまで行けば満足」といった類のコメントを発し続けています。

 仮に、今季終了時にアルベル監督の理想の60パーセントまでチームが成長したとして、そして、その60パーセントのレベルが「基礎編終了」なのであれば、100パーセントまでの道のりは「チームとしての応用編」を上積みするか、「個人としての応用編」ができる選手を連れてくるしかありません。裏を返せば、今季は「チームとしての応用編」に挑むにあたって一息足りない選手をあぶり出し、「個人としての応用編」ができる選手を受け入れる枠を空けるためのセレクションを1年かけてやっているんだな、とこの1ヶ月で認識しました(シーズン前からそう思っていた聡明な方もいらっしゃるでしょうけど)。

 原理主義に基づく明確な基準があるからこそ、外側からしか見ることができないファンですら、セレクションの過程の一端を認知できる。これまでとはまた違う目線で、点を繋いで線にする見方ができる。邪に映るかもしれませんが、今はこんな楽しみ方をしようかな、と。