続々々・メガネのつぶやき

思ったことを、思ったなりに、思っただけ。

祭りの後

 ご無沙汰しております。体調も最悪は脱し、ぼちぼち暮らしておりました。今日から不定期ですがブログを再開したいと思います。またお付き合いください。再開1発目はワールドカップについて。体調がそれほど思わしくない中、全64試合中およそ40試合を見ることができ、自分ではよくやったなぁと思っておりますが(笑)、私なりに今大会通して感じたことをいくつか、取り留めなく書いていきたいと思います。で、今大会に対して個人的に小見出しをつけるならば、「いよいよ『育成重視』が始まったな」「『モウリーニョ・シンドローム(byイビチャ・オシム)』の蔓延」「代表監督とは?」の3つでした。以下、それぞれ詳しく書いていきます。


 1つ目の「いよいよ『育成重視』が始まったな」から。これは結果を見ていただければ明らか。かねてから若年層の育成に定評があったスペインとオランダが覇を争い、それに続いたのがEURO00での惨敗を経て育成方針の一新を図り、それが一気に実を結んで花開いたドイツと、小国ならでは、小国だからこその育成方針(協会の目が全国にしっかりと行き渡り、若年層の頃からタレントでラージグループを形成して、一体感を持って育っていく)で23〜25歳の若手が一気に才能を爆発させたウルグアイでしたから。さらに「自前で育てて、トップクラブや国外に高く売る」という育成方針を持つクラブが国内に多数存在する南米の国が全て決勝トーナメントに残り、その一方で、近年若年層のタレント発掘と育成が上手くいっていないという評価がなされていたイングランドとイタリア、そしてアフリカ勢のいくつかが早期敗退を余儀なくされたことで、そのことはさらに強く言えるのではないかと思いました。フランスは育成が上手くいっている方だったので、躍進も期待できたんですが…まあ、あの有様ではそれ以前の問題でしたね。それは後述。
 で、この傾向は今大会限りなのか?といわれれば、それはノー。全世界的な景気停滞と金融不安により各クラブは運営に苦しみ、一部のビッグクラブでは想像もつかない赤字を抱え、経営不振や身売りという話が黙っても耳に入る時代になりました。その中にあってはこれまでと同じビジネスモデルでいいはずがなく、また、FIFAがいわゆる「6+5ルール」の導入をかなり前向きに検討していたあり、FAが独自のルールで自前のアカデミー出身選手を増やそうとしたりしていることも相俟って、これまで以上に若年層の育成重視という流れは加速していくはず。もちろん、育成の方がお金かからないだなんて言いません。むしろ、ハード面を整える際に一時的な多額の出資は避けられませんし、また、投資の結果がすぐに出てくるものでもありません。今大会躍進したドイツだって、エジルミュラー、クロース、バートシュトゥーバー、ボアテンク、マリンといった世代が出てくるまで10年かかったんですから。それに、6+5ルールなどでただ外国籍選手の登録機会を減らし、自前育成枠の選手登録を増やすことが即レベルアップに繋がるとは思えません。ともすれば、そのリーグの競争力を低下させることにもなりかねないですし。大事なのは、どれだけ確固たるビジョンを持って若年層を指導できるかもそうですし、そんな選手達を起用する「タイミング」と「勇気」を各指導者、各クラブがどれだけ持てるかという点ではないでしょうか?ドイツの前述した若手達も、所属クラブで起用してもらい、そのチャンスをものにしたからこそ代表に選ばれているわけで、言い換えれば、そのチャンスを与えた指導者やその決断を許容したクラブやファンといった、結局は国内でサッカーに関わる全員の力が、今大会の歓喜をもたらしたと思うんです。イングランドやイタリアが、本腰据えてそれを出来るのか、それは長い目で注視していきたいです。


 2つ目の「モウリーニョ・シンドローム」。これは、何かの試合後にスカパーでオシムさんが口にした言葉ですが、つまりは、今季インテルモウリーニョ監督が見せた、大まかに言えば「ボールより後ろに8〜9人を置き、しっかりとしたブロックを敷いてのゾーンディフェンスでボール奪取し、そこから少人数でのコレクティブカウンターで点を奪う」という戦術を用いる国が多かったことに対しての不満を端的に表した言葉だと理解しています。近年、「世界一レベルが高い大会」という称号がワールドカップからチャンピオンズリーグに移り、同時に戦術のトレンド発信源もそちらにシフトしたことは周知の事実と言っていいでしょう。そんなCLを昨シーズン制したのが、あのインテル。世界有数の攻撃力を持つクラブを、完璧と言っていい守備的規律を持って沈めたわけです。それを見て、小国(戦力的に劣る国)がその戦術を真似すること自体は、全く不思議ではありません。自分達が勝利を、勝ち点を積み重ねるにはどうしたらいいのか?もっと遡れば、長く険しい各大陸の予選を勝ち抜くにはどうしたらいいのか?という点を思案した結果、そこに行き着くことは何も今大会に限ったことではありませんし。しかし、オランダ、ブラジル、イングランド、フランスといった、もっと攻撃的に振る舞える戦力、個のタレントを持った国までもが(厳密に言えば引いて守って、ではないですけど)そういった方向に針を振ったことには、確かに驚きを受けました。もちろん、オランダのように結果を残した国もあるわけで、それを頭ごなしに否定することは私には出来ませんし、私は「守備あっての攻撃」という考え方の人間なのでウェルカムな部分もあるわけですが、しかし、この傾向がより顕著になることを諸手を上げて歓迎できるかと言われれば、答えに窮するところではあります。
 でも、1つ目と違って、この傾向は今大会限りだと思ってます。それには2つの側面があって、それが「この戦術が、守備面ではひとつの到達点である」という側面と、「片方に振れすぎた針は、結局揺り戻る」という側面。前者ですが、私みたいな素人はだしのファンが見ても、今の守り方以上のものを構築することは困難に近いだろうと。つまりは、これがスタンダード化してしまうだろうと。ことスポーツにおいては、スタンダード化したものは格好の研究対象となり、いつの日か必ずそれを崩される日が来ます。それは歴史が証明しています。人間は馬鹿ではありませんから、シンドロームを治癒するためのワクチンを必ず誰かが開発する、ってなもんです。後者は、サッカーが至極「あいまい」なスポーツであり、攻撃と守備がコインのような表裏一体のスポーツである以上、メトロノームのように必ずまた攻撃に世界的傾向、思考は振れますよ。根拠はないけどw ただ、伝え聞く限りオランダのファンが勝利に酔いしれる一方、その戦い方を「退屈だ」と潜在的に思っている人が多いようですし、ブラジル国民はあのサッカーに怒ってるわけだし、人間は飽きやすい移り気な生き物なので、今は守備の素晴らしさに酔いしれている人も、それに見慣れてしまうと酔いから醒めて「ん?こんなんでいいんか?」と思って、攻撃に目が転じるはずですしね(笑) まあ、正解があるようでないのがサッカーの面白いところ。その振れ具合を楽しむのもまた一興、という締めで。…合ってる?


 3つ目の「代表監督とは?」ですが、これは前2つほどしっかり書けませんけど、本当に大変な仕事だなぁと改めて思った次第。代表監督が出来る仕事って実はあまり多くなくて、でも、成し遂げなければならない重責はめっちゃ大きくて。だからこそ、代表監督に求められる資質−個人的には「確固たる哲学と卓越したマネジメント力を持つ、優れたモチベーター」であること−をしっかり兼ね備えているのかを見極めて招聘することが協会には求められるところかと。ドイツ・レーブ監督、ウルグアイタバレス監督、チリ・ビエルサ監督、ガーナ・ラバイェツ監督のように、全てを正しい方向に導いて、魅力的なサッカーを見せてくれた監督がいる一方、イタリア・リッピ監督のように戦術を徹底できなかったり、フランス・ドメネク監督のようにマネジメント力不足でチームに混乱をもたらしたり、イングランドカペッロ監督のように選手をモチベートしきれなかったりとどれか一つでも欠けたら全く力を発揮できない、そして、ナイジェリア(ラガーベック監督)、コートジボワールエリクソン監督)、カメルーンル・グエン監督)といったアフリカ勢に代表されるように、短期間で結果を残せるほど甘くないコンペティションがワールドカップ。日本の協会幹部(ってか、原さん)には、その点をしっかりと考慮して選定して欲しいと思います。


 最後に、以上のことを踏まえて日本について。大会への準備に入った5月末以降の成り行き、結果については何も言うことはありません。しかし、2年半の道のりが正しいものだったかといわれれば、それは微妙なところ。イビチャ・オシムという稀有な存在の後を、しかもあのような形で引き継がなければいけなかった入りが難しかったことは考えてあげなければいけないですけど、前述した代表監督しての資質という目線で見れば、これまでの岡田武史という監督が見せてきた哲学とは真逆のことをしようとして苦しみに苦しみ、最後の最後まで「これが私のチームのサッカーです」という旗印を多くの人に印象付けることには失敗しました。また、選手選考であるとか、スタメン起用の硬直性、マスコミ対応やファン向けの言葉のチョイスミスといった点で、チームマネジメント力に劣るところも白日の下にさらしたと私は思います。モチベートについては…最後の最後でチームを1つにまとめたところでトントンでしょうか?まあともかく、本田1トップ、松井の抜擢、阿部のアンカー起用、と同時に、これまでの主力をベンチに下げる決断がギャンブルであったことは言うまでもなく、それが嵌ったことは幸運だったわけで。その幸運に楽しませてもらった、熱くさせてもらったことは忘れてはいけませんけど、それが二度も続くと思うのは間違いでしょう。
 では、日本はどこを、どんなサッカーを目指すべきなのか?それは、相当難しいお話になるかと。まず単純に考えて、「アジアでは格上だけど、世界では格下、頑張って互角」という立ち位置自体が難しい。相手がどうであれ同じ戦い方を…と口で言うのは簡単ですけど、大まかに言って1つしか戦い方を持たないことのリスクってのは、今大会でも至るところで感じさせられました。しかし、対アジア用のサッカーと、対世界用のサッカーの2つを持つ、2つの戦術を等しく浸透させることが、現在の代表を取り巻く環境−過密日程による練習時間確保の困難さ−から考えて、相当難しいことであることもまた事実。そもそも論、「日本らしいサッカーって何ぞや?」という問いに対しておぼろげな正解すら見えてこない現状にあって、どんな嗜好を持つ監督を招聘すべきか一般のファンにはあまり見えてこないことが問題なのかもしれません。その道筋を協会はどの時点ではっきりさせられるのか、あるいは、敢えてそういうものは定めず、招聘する監督の嗜好に都度合わせてやっていくのか。どちらに日本サッカー界が流れているのかは、早々に、大いに議論がなされてほしいなぁと。
 ってなところで、育成についても少し。まず端的に言って、日本の育成のレベルが低いとは私は思っていません。高校年代以降で見ても、クラブユース、高体連、街クラブ、そしてJFAアカデミーと様々な育成の形態があり、それぞれの指導者がそれぞれの哲学を持って選手を育てることに尽力していると思います。しかし、ざっくりとしか言えませんが、今は各指導者にかかる負担が大きいというか、トップがあまりにも末端に任せすぎている印象は否めません。そして、多様性に任せている割には、様々なタイプの選手が幅広く育っているとは言えない現状もあるのかなと。そんな中で、例えば「日本らしいサッカー」というものが輪郭程度はっきりしていれば、話は変わってくるでしょう。そういう意味では協会は早く「一貫性」を打ち出すべきだし、それが一番反映されるべきJFAアカデミーが今後どのような形で結果を残すのかには、大いに注目したいところ。FC東京に入団した幸野君のように、早くからプロとして契約し、トップの環境でもまれる機会を得れる選手が増えていけば…という期待がある反面、高卒、大卒の選手達ですらJ1、J2に拾ってもらえる数が減っている中、言い換えれば先細りが過ぎるピラミッドである今の日本サッカー界の現状にあって、どこまで協会主導が効果を発揮するか不透明な部分はまだまだ大きいとも思うわけですが、とにかく、各指導者の努力、各選手の可能性をクラブや協会が見落とさないようなシステムを早々に構築する必要があるとだけは、強く思っています。


 なんだかまとまらない感じになってしまいましたが(苦笑)、4年に1度の「ゲリラ豪雨的注目(by西部謙治さん)」がサッカー界に浴びせられるワールドカップというものを通して、あるいはそれを利用して世にサッカーの素晴らしさをアピールできることは、ある意味では恵まれていること。今大会を1つの契機として、各々が感じたことを臆せず意見でき、その一意見の力は小さいかもしれないけど、戦わせて(喧嘩腰はダメよw)、揉みこんで、大きなうねりにまで持っていったその声の集合体がクラブや協会に影響を与えられるぐらい、日本のサッカー文化が熟成するようになればいいなぁと。またそうなるように、自分もJリーグや海外で戦う選手達の一挙手一投足に注目して行きたいと思います。では、皆さんまたJでお会いしましょう!