続々々・メガネのつぶやき

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プロレスラーの生きる道−タケルンバ卿日記−
スポーツ見るもの語る者〜フモフモコラム:三沢光晴さんの死を、今後のプロレス界は絶対に生かして欲しい件。


 三沢さんが亡くなってから、さまざまな方の意見がブログやマスコミ等に上がり、私も含めた「潜在的なプロレスファン」の多さに驚いている最中。その中である面で真反対の、両極端な意見が著名ブロガーである2人から出されたわけですが、内容が内容だけに、かたやdisられ、こなた褒められ、かたや「これはひどい」、こなた「これはすごい」になっています。確かにタケルンバ卿のエントリには一部賛同できない部分がありますし*1、NOAHがいわゆる「ギミック」や「アングル」を多用するカラーの団体ではないことも、自分なりに理解しているつもりです。実際にブコメでも「NOAHはそんなんじゃない」とか「そんなことして三沢さんが喜ぶか?」といった内容も見られましたし。
けれど、私は

今はただ、三沢光晴というレスラーを安らかな眠りを祈るのみ。そして残された者、特に斎藤彰俊の活躍を祈るだけ。事故の幻影を振り払い、これからもバックドロップを使うことを願う。それがプロレスラーの生きる道。平凡なことをするな。異常なことをしてくれ。彼には語り継がれるレスラーになって欲しい。それが三沢をプロレスラーとして最も輝かせる道なのだから。

 という一文に、フモフモさんの誠実な語り口でもたらされたエントリに感じた「素晴らしい」という感情と同じかそれ以上の何かを覚え、目から汗が出てしまいました。タケルンバ卿の今回のエントリにおける発想が酷い、という意見が間違ってはいないと思います。けれど、私も「常識をぶっ潰してこそプロレス」という価値観が前提にあって、その上で最後にこの1文が来たことに、強烈なインパクトとある種の安堵感を覚えました。つまるところ、視点は180度違いますけど、タケルンバ卿もフモフモさんも、自分なりの価値観や見方*2で最大限プロレスを愛していることを表したエントリだった、そう受けとめましたけどね。もっと言えば、今回の卿のエントリで見られる意見の大半は、ある意味「意図的な振り切れ」によるものだと推測しますし。卿は時々こういう「火に油」的というか、自爆気味なエントリをぶん投げますからね(といいながら、どこまで本気かは分からないけど(笑))。


 今後のプロレス界については、フモフモさん

いずれ起きるだろう次の事故の際、三沢さんの死を何の教訓にもしていなければ、プロレスのメジャー化など夢物語。むしろ、あれだけの事故で世間を賑わせたのに何もしていない業界として、一般大衆は去っていくに違いありません。

 と書いているとおり、プロレス界の中にいる一人ひとりがどうしていくべきか考えなければいけないでしょう。ファンも、どうあって欲しいかを声に出して言っていい場面だと思います。だた、彰俊自身については…今回ばかりは本人以外がその道を決めることはできないと思っています。これを機にベビーフェイスに変わろうと、中途半端だったヒール色をより強めようと、はたまたレスラーを辞めるという選択をしたとしても、それがNOAHからの指示や周りの意見に流されたものでなく、100%彰俊本人の意志で決めたものならば、私はそのいずれをも真摯に受け止めるつもりです。たとえ、二度とバックドロップを取り戻せなくても。


 まあ、別に卿をかばうとかフォローするという意図はないのですけど、あまりにも自分の思いと周りの反応が乖離していた感じなので、ちょっと書いてみた限り。だからと言って、自分以外の意見が間違ってるだなんて言うつもりは無いですけどね。感じ方はその人次第ですから。

*1:例えば、「世間を敵にまわせばまわすほど、世間にとってのヒーローに三沢は昇華していくんだよ」って部分。現に三沢さんと彰俊がバチバチの関係ならまだしも、これをきっかけにそうしたところで、三沢がヒーローとして昇華するかは疑問。

*2:タケルンバ卿は「彰俊は今後どうすれば…」というミクロな視点だったのに対し、フモフモさんは「プロレス界全体は今後どうすれば…」というマクロな視点だったという理解で読みました。