続々々・メガネのつぶやき

思ったことを、思ったなりに、思っただけ。

スポーツナビ|サッカー|日本代表|オシム「今度は私が『頑張れ』と言う番だ」

 ベンチに座りたいという気持ちはあるが、ベンチで死にたくないという気持ちもある。それはあまりスペクタクルではないでしょう。

 病気から復活できたのはサッカーのおかげです。私が何者であるかということを忘れないために、試合を見に行きました。サッカーが原因で病院に行かなくてはいけなくなりましたが、そこから戻るのもサッカーの力でした。

 この2つのセンテンスを見た瞬間なんかグッと来ました。神様はなぜあの時オシム監督に病魔を仕向けたのかと、恨み節の1つや2つつぶやきたい気分満開ですが、その一方で神様に助けられてまたこうやって戻してくれたことを、私たちは心の底から感謝しなければいけないのかもしれません。あんまり宗教的な言い方は好きじゃないんですけどね。
 何はともあれ、またこうしてオシムさんが日本サッカーに携わってくれるのは素晴らしいこと。表立った行動をする必要はないし、誰よりもオシムさんが目立つようで逆に困る面もあるんですけど、それでもチームに対して、選手に対して、そして、何より協会の人間に対してビシバシ熱い言葉を投げかけてほしいなぁと願うばかりです。
しかし、このくだりは印象的でした。

(Jリーグの印象を問われ)
 印象については少し前に言いましたよね。私の話を聞いていましたか?耳に入っていても頭で理解していなくては同じですよ。つまり、走りが足りない。走らなければいいサッカーはできません。それにいい技術がなければ速いサッカーはできません。そこを改善することが、進歩というより、日本サッカーが生き残る道でしょう。まず走ることです。
 そこで残念なことは、日本サッカーの中には、上手な選手は少ししか走らなくていいと考える傾向があります。それを直さなければいけません。逆ですよ。テクニックのある選手がたくさん走れば、もっといいサッカーができる、そのように考えてはどうですか?そこから直しましょう。だからといって、そういうサッカーを許している監督を批判していると書かないで下さいね。監督を批判しているのではなく、走らない選手たちを批判しているんです。


 生まれてこのかた、撮られた写真の枚数よりも、今日一日で撮られた枚数の方が多いと思います。こんなにたくさんのカメラマンが来るのなら違うネクタイをしてくれば良かったです。イタリアの言葉で「マスコミの沈黙」と言った表現があります。それには2つの意味があります。1つは、選手や関係者にマスコミにはしゃべるなというかん口令を敷くこと。2つ目は、誰にも文句を付けられないぐらい立派な内容と、良い結果を残して、マスコミからの批判を寄せ付けないということ。ですから、私がここで自由にしゃべったことは、日本サッカー協会にとって大きな賭けであったことでしょう。つまり、私は何をしゃべっても大丈夫だということですね。もし、次の記者会見が開かれればですが……。