続々々・メガネのつぶやき

思ったことを、思ったなりに、思っただけ。

Jリーグ、15歳のバースデー

 もう15年か。この頃オギャーと生まれた子どもも、気がつけば15歳。徐々にではありますが、歴史を感じさせてくれるものとなってきたんじゃないでしょうか?そんな中、J’s GOALスペシャルページを作成した模様。なんだか、いやがおうにも当時を思い出してしまいますね(以下長文です)。
 私は当時まだ11歳。本州最北端のしがない田舎小学校にはソフトボール部しかなく、サッカーとは当然無縁だった私。しかし、2つ上の兄が中学に入りサッカー部へ入部したこと、キャプテン翼が大爆発したこと、そしてJリーグが始まったことで、私も自然とサッカーへ注目するようになりました。
 迎えた5月15日、国立での開幕戦、ベルディ対マリノス。NHKだったか日テレだったかは忘れましたが、兄と2人でテレビに噛り付いて見ていたのを思い出します。もちろんその頃はサッカーがどんなスポーツなのかほとんど分かっていなかったので*1、どのようなサッカーが繰り広げられていたかは覚えていませんが、マイヤーがペナルティエリアの角から右足で巻いたゴールは、やっぱり記憶にバッチリ残ってますね。
 で、今でこそFC東京にどっぷりと浸かっている私ですが、J開幕当初応援していたのが…実は鹿島アントラーズ。というか、ジーコでした。北の果てに住む男なので、特にフランチャイズとして応援するところが無く、かといって、縁があるところも無く。それで私は「誰か特定の個人を追いかけようかな?」と思い立ち、そのターゲットとして白羽の矢が立ったのがジーコでした。まあ、開幕戦のハットトリックを見て、虜になってしまったといったほうが正解でしょうかね。そのジーコも94年に現役引退。ジーコ個人を追いかけてきた私は鹿島を捨て、「さて、次はどうするかねぇ?」と再び恋人探し*2。そして見つけたのが、「ミスター・レッズ」こと福田正博でした。
 中学に入り、当然の如くサッカー部に入った私。兄はDF(サイドバック)をやっていたのですが、ジーコに魅入った私は、当然ながら攻撃志向。顧問の先生に「オマエ、兄貴がサイドバックやってるから、おまえセンターに入ってみないか?」とよう分からん理由でDFにされかけましたが、頑なにFWを主張し続けた結果、なんとかFWとして扱ってもらえることに。そうなるとやはり「FWを追いかけないとだめだな」ということになり、95年開幕からしばらくFWばかり見続けていました。今でこそ185cmある私ですが、中学入学当時は朝会なんかで並んでも、真ん中よりちょい前ぐらいの身長しかなく、スピードやら駆け引きで勝負したいなぁと漠然と思っていた頃でした。そこにつけて、目に飛び込んできたのが福田。柔らかいボールタッチ、スピードに乗ったドリブル、得点への嗅覚、そしてPK(笑)。どれをとっても、当時の私には理想像そのもの。いつの間にか虜になっていて、その延長線上で(今思うと虫唾が走りますが)浦和レッズを応援するようになりました。その後福田は怪我、チームの不振、ドーハの悲劇、J2降格など様々な困難を受けながら、2002年まで現役を続けました。引退試合には行かなかったのですが、テレビでその勇姿を見て、涙が零れるのを抑えることができませんでしたね。
 で、当然ながら福田の引退でレッズとの関係はお終い*3。さあ次は、というところでたどり着いたのがFC東京。すでに就職し、東京へ出てきて3年。人生で初めて、自分が住む都市にフランチャイズチームがあるシチュエーションとなり、(今の相方の誘いもあって)これまた初めて「チーム」を応援することができる、応援する「チーム」ができる、素晴らしい状態となりました。
 これからも、未来永劫Jリーグは続いていくと信じていますし、わたしは一生涯FC東京を応援し続けると決めました。しかし、東京ばかりを見て視野が狭くなるのは、実は嫌。いろんなチームのいろんな試合、いろんな選手のいろんなプレーをこれからも可能な限り見続けていきたいと思います。

*1:じゃあ今は分かってるかって言われると、まだまだですけど。

*2:今考えたら、ありえない行動(苦笑

*3:って尾持ってた当時の自分が、いささか恥ずかしい(苦笑