続々々・メガネのつぶやき

思ったことを、思ったなりに、思っただけ。

20周年記念 俺ベストイレブン その1

 Jリーグ公式サイトにおいて、20周年を記念した「Jクロニクルベスト」という企画が行われ、先日その投票結果が発表されたところです。それにあやかって、私もちょっと考えてみました。ただ、縛りなくやってもつまらないので、「J1、J2合わせて200試合以上出場しながら、A代表での出場数がゼロ(「メンバーには選ばれ、ベンチには入ったことがあるけど出場せず」というパターンも含む)」の選手に限定し、かつ「現役選手」と「引退した選手」とに分けて、それぞれ選んでみました。こういう見方があっても、面白いよね的な感じでお読みいただけたら幸いです。まずは現役選手編から。出場歴は2012年までのJ1・J2リーグ戦通算(ナビスコカップ天皇杯、JFL以下のカテゴリー、海外での試合数は含んでおりません)、経歴は高校年代以降のものです。


GK  北野 貴之
出場歴:216試合(J1 216試合、J2 0試合) 0得点
経歴:北海高校札幌大学−新潟−大宮

 高校1年終了時にGKへ転向した変わり種で、入団から3年間は出場機会を得られませんでしたが、06年ナビスコカップ第3節でデビューを果たすと、同年J1第10節ではリーグ戦デビューし、そのままポジションを確保。07年以降は新潟、移籍した大宮で不動の守護神として活躍し、現在も江角と切磋琢磨しながらそのポジションを守り続けています。時折読みやヤマ勘に頼りすぎてポカをすることもありますが、とにかく反射神経とポジショニングに優れている印象で、今季の大宮の躍進を最後方から支えています。川口能活楢崎正剛川島永嗣土肥洋一西川周作権田修一らハイレベルな選手たちの前にA代表こそ縁遠いですが、個人的にはもっと代表選出論争に名前が出ていい、過小評価されている選手の1人だと思います。


DF  新井場 徹
出場歴:402試合(J1 402試合、J2 0試合) 22得点
経歴:G大阪ユース−G大阪−鹿島−C大阪

 ルーキーイヤーだった98年、いきなり30試合に出場。一転、翌99年は1試合も出場機会がありませんでしたが(怪我?)、2000年に再度出場機会を得ると、00年〜12年まで13シーズン連続で20試合以上に出場するコンスタントな活躍で、それぞれの所属チームに大きな貢献を果たしてきました。ゴール数22というのもSBとしてはなかなかの数字で、確かに若かりし頃から飄々とはしながらも、積極的にオーバーラップしていく姿が記憶に残っています。アンダーカテゴリーでの代表経験はあり、A代表でもトルシエ監督時代に候補メンバー合宿に呼ばれたことがあったようですが、正式メンバーに選ばれたことは一度もなし。J通算400試合以上出場しながら代表経験なしという選手は、歴史を紐解いても数えるほどしかいませんが、関西人なのにでしゃばらない(偏見ですね)性格の彼らしい、それもまた一興といったところなのかもしれません。


DF  土屋 征夫
出場歴:441試合(J1 266試合、J2 175試合) 26得点
経歴:ノロエスチ−インテルナシオナウ・ベベドウロ−バフェットス(いずれもブラジル)−V川崎−神戸−柏−大宮−東京V甲府

 高校生の時に単身ブラジルに渡り、97年に帰国。V川崎時代はさほど出場機会に恵まれませんでしたが、99年に神戸へ移籍し、SBからCBへコンバートされて一気に素質が花開き、その後14シーズン連続で20試合以上に出場。神戸時代にシジクレイ北本久仁衛とともに「ピカッとスリー」(当時のトルシエ代表監督がポリシーとしていた「フラットスリー」にちなんで)なんて呼ばれていたのが懐かしいですね。柏時代には田中達也に対して悪質と取られかねないタックルを見舞い、大怪我を負わせて大顰蹙といったこともありましたが、実力と人気を兼ね備えたまま年齢を重ね、今も衰え知らずのプレーぶりで周りを驚かせています。また、セットプレー時に頼りになる選手で、実は00年から13シーズン(今季も点を取ったので、14シーズン)連続ゴールを継続中と、ここにも積み重ねた歴史の凄さを感じさせます。いつまでプレーしてくれるのか、興味は尽きません。


DF  古賀 正紘
出場歴:361試合(J1 328試合、J2 33試合) 21得点
経歴:東福岡高校−名古屋−柏−磐田−福岡

 高校1年時にFWからDFへコンバートされ、卒業時に受けた多くのオファーの中から名古屋を選んで入団。対人に強く、行き過ぎな時があるくらいアグレッシブなコンタクトプレーで歴戦のFWと対峙し続けてきました。また、ここまでの3人は比較的大人しいタイプでしたが、古賀はプレーでもプレー外でも熱く、事あるごとにフロントと「銭闘」してみたり、こんなコラムネタを提供してみたり、ネタキャラとしての一面も持ち合わせています。さすがにスピード勝負では厳しい局面も増え、本人がサポーターと公言する地元福岡に戻り、あと数シーズンでそのキャリアに幕を下ろすことが予想されますが、最後まで熱いキャラクターを発揮して、レベスタにその足跡を残してほしいと願うばかりです。


DF  森 勇介
出場歴:278試合(J1 162試合、J2 116試合) 10得点
経歴:清水東高校−V川崎−仙台−京都−川崎−東京V

 どの世界においても「バッドボーイ」と呼ばれる選手はおりまして、ことサッカー界でも名だたるバッドボーイがその言動で賛否両論を巻き起こしてきました。で、Jリーグ20年間で「あなたが思うバッドボーイは?」という問いをファンにしたならば、間違いなく上位にランキングされるであろう選手の一人が森。審判に暴言は吐くわ、給水ボトル蹴り上げるわ、肘打ちで度々苦言を呈されるわ、挙句の果てにはナビスコカップの準優勝メダル授与時に悪態をつくわ、その「DQN」ならぬ「MQN」っぷりは枚挙に暇がありません。ただ、その一方でラモス瑠偉氏に「代表に呼んでほしい」と言わせたり、J2ではそのスキルの違いを見せ付けて不動の右SB(WB)としてキャプテンを任されたりするなど、ここまでキャリアを積み重ねてこられたのは実力の為せる業。プロスポーツがエンターテインメントの側面を持つのが事実であるならば、こういった「個性」の選手が一人二人いても、アリですよね。え?森のこと好きかって?いやー、嫌いですよ(笑


MF  森崎 和幸
出場数:372試合(J1 298試合、J2 74試合) 21得点
経歴:広島ユース−広島

 入団したそのチームでプロキャリアを終える−かつてはベーシックな選択の1つでもあったこのことが、今のサッカー界ではインポッシブルなことになってきていることは疑いようのない事実。現役選手の中で、それを成し遂げてくれそうな数少ない選手の一人が森崎和。99年に高校生Jリーガーとしてデビューし、08年まで主力としてフル稼働。09年に慢性疲労症候群を患い、一時はどうなることがと思いましたが、約4ヶ月の離脱のみで完治させ、現在も欠かせない戦力として再度フル稼働しています。ミハイロ・ペトロヴィッチ(現浦和)監督から「ドクトル・カズ」と呼ばれるほど明晰な戦術眼を持ち、今季ここまでのパス本数989本、成功率92.8%はともにリーグ1位(成功率はパス本数500本以上の選手の中で)。はっきり言って、今代表に呼ばれて、遠藤の代わりを務めろと言われても問題なくこなせる実力はあります。まあ、32歳という年齢を考えればそれは限りなくゼロでしょうけど…。いずれにせよ、弟・浩司とともに、広島のままそのキャリアを締めてくれることを期待してやみません。


MF  熊林 親吾
出場歴:340試合(J1 8試合、J2 332試合) 19得点
経歴:秋田商業高校−磐田−湘南−横浜FM−仙台−徳島−草津−秋田

 99年、Jリーグは2部となるJ2をスタートさせ、リーグ体制としてはようやく世界に肩を並べることができました。もちろんどのチームも、どの選手もトップカテゴリーであるJ1を目指してやっていて、結果的に注目度が「J1>>>J2」となるのは当たり前の話。しかし、J1では日の目を浴びなかったものの、J2で輝きを放ち続けてきた選手もまた、確実に存在しています。そんな中の一人が熊林。J1では05年、横浜FM時代の8試合しか出場機会がありませんが、J2通算332試合出場は歴代8位。中でも印象に残っているのは、やはり08年〜12年まで在籍した草津時代で、松下裕樹(現横浜FC)、櫻田和樹らとともに「ガテン系MF」と呼ばれた記憶も新しく、常に何かやってくれるのではないか?という期待感を持たせるプレーが印象に残っています。現在は、Jリーグ準加盟が認められ、J3参入を目指している地元のブラウブリッツ秋田(JFL)でプレー中。ベテランが、キャリアのラストを地元クラブのために…というのはサッカー界ではまま聞く話。ここが終の棲家になるかはまだ分かりませんが、またいつの日か、Jで彼のプレーが見られる日を待ちたいなと思います。


MF  野沢 拓也
出場歴:287試合(J1 287試合、J2 0試合) 55得点
経歴:鹿島ユース−CFZド・リオ−鹿島−神戸−鹿島

 冒頭にも書いたとおり、今回は「A代表での出場数がゼロ」という縛りをかけていますが、野沢がこの対象に入ることは驚きの一言ですし、最も過小評価されてきた選手といっても過言ではないくらい、素晴らしいプレーヤーだと思います(06年にA代表へ招集されたことはありますが、出場機会はなかった)。入団当初はなかなか出番をつかめませんでしたが、05年に今と同じような役回りセカンドトップやSH)を与えられると潜在能力が一気に開放され、そこまでの5シーズンで2得点だった選手が、この1シーズンだけで10得点の荒稼ぎ。その後も「得点を取れ、アシストもでき、セットプレーの精度も高い」という攻撃面の3拍子を兼ね備えた選手へと成長しました。12年に驚きの神戸移籍があり、結局1年で里帰りすることとなりましたが、神戸時代に守備面や「頑張る」面での進化が見て取れ、同じく守備面での献身さが増したジュニーニョとともに、鹿島のサイドを支えています。今季、得点後のガッツポーズが大きく、明るくなったのは気のせい?あ、1つだけ不満を言わせてもらえるならば…ソックスもっとちゃんと上げろ!アンリ履きしろ!(笑


FW  吉田 孝行
出場数:429試合(J1 356試合、J2 102試合) 74得点
経歴:滝川第二高校−横浜F−横浜FM−大分−横浜FM−神戸

 U−17世界選手権への出場や、AFC U−19選手権で得点王を獲得するなど若くからその才能を買われ、ルーキーイヤーから28試合に出場。その後、横浜FM、大分、神戸と3つのチームを渡り歩き、その時々の状況変化に対応し、いろんな監督の様々な要求に応え、スタメンでもベンチからでもその瞬間に全力を出し続け、デビューして18シーズン中17シーズンでゴールをゲットするなど(唯一リーグ戦でゴールがなかった97年も、天皇杯で3ゴール)、常に期待に沿うパフォーマンスを見せてきました。こういう順応性の高い選手が一人いるだけでチーム力というのはグッと増しますし、手を抜かない姿は若手にとって最高のお手本となるはず。12年シーズン終了後に引退を考えたという話があり、36歳という年齢も相俟って、今季は終幕へ向かう1年なのかもしれませんが、最後に神戸をJ1へ戻して終わらせることができたら…本人も納得でしょうかね。


FW  田原 豊
出場歴:280試合(J1 95試合、J2 185試合) 61得点
経歴:鹿児島実業高校−横浜FM−京都−湘南−横浜FC

 若くしてその才能を買われながら「未完の大器」に終わる選手、あるいは、良い時は本当に良くて「こりゃ、国を代表するぞ!」と思わせるけれど、ダメな時はとことんダメという「ムラのある」選手というは、どのスポーツの世界においても数多存在してきました。で、Jリーグにもそんなタイプの選手がちょいちょい現れていますけれど、個人的に現役でその代表格だと思うのが田原。187cm、87kgという雄大な体格を活かしたプレーがどハマリしている時間は誰も彼を止められず、思わず溜め息やざわめきがこぼれるほどのゴールをあげたシーンはいくつもありましたが、それが続かないのがとにかく残念の一言で、シーズン2桁ゴールを奪ったのが09年のみという事実がムラのあるところを如実に表しています。また、ついこの間も(これはサポーター側が悪いと思いますけど)試合後にサポーターと揉めるなど精神面でも気ムラなところがあり、周りから見ていると「もったいない」と思わずにはいられません。ただ、まだ31歳。ピンポイントに特長を活かそうとすれば、まだまだ塞ぎこむ年ではありません。未完の大器が見せる最後の一撃、見てみたいなぁ。


FW  林 丈統
出場歴:263試合(J1 135試合、J2 28試合) 28得点
経歴:滝川第二高校−市原−千葉−京都−磐田−京都−千葉−サーサナ(タイ)−大分

 スタメンとして常時試合に出場する選手がいれば、キックオフ時にはベンチを暖め、虎視眈々と出場機会を窺う選手もいるのはスポーツ界の常。そんな、ベンチを暖める選手の中には、実力はスタメンとさほど変わらないながらも諸所の理由でベンチにいて、しかし途中から出てガラッと試合の流れを変えることができる選手もいます。私たちは、そんな彼らに敬意を込めて「スーパーサブ」と呼ばせてもらっていますが、その代表格とも言えるのが林。もちろん、スタメンで起用された試合もたくさんありますが、林と言えばスーパーサブスーパーサブと言えば林というぐらい、代名詞的な存在として認知されていると思います。もちろん、本人にとっては悔しいことだと思いますし、スタメンでの出場機会を得るために移籍を繰り返してきたわけですが、昨年のJ1昇格プレーオフで見せたゴールを見てしまうと、やっぱり林はスーパーサブという宿命、運命を背負ってプロサッカー選手になったんじゃないかなぁ?と思わずにはいられません。こういうタイプの選手がいることもまた、サッカーの面白さなんでしょうね。