続々々・メガネのつぶやき

思ったことを、思ったなりに、思っただけ。

大熊トーキョー

Jリーグディビジョン2 第29節 東京3−0横浜FC
Jリーグディビジョン2 第29節 東京2−0北九州
 このホーム2連戦、試合展開はこれまでには見られなかったものだったと思います。ただ、結論から書かせてもらうと、「きっとこの形こそが大熊監督が目指していたサッカー=大熊トーキョーなんだろうな」と私は感じました。


 横浜FC戦から。得点はあっという間に生まれました。谷澤のキックの精度、ニアへの高橋の飛び込み(結果的にこれがいいブラインドというか、オトリになった)、梶山のヘディング技術(スルッとDFの前に入れたのもナイス)、いずれも素晴らしいプレーでした。で、多くのファンはここから得点を重ねての3試合連続夢スコアを期待したはずです。しかし、ゲームはここから思わぬ顔を覗かせました。Jリーグは公式スタッツでボール支配率を公開していませんが、東京が1−2で敗れた草津戦後、ゲームスタイルをポゼッション重視に変えて以降は、おそらくすべてのゲームで東京のボール支配率が上と言っていいほど繋ぎにこだわる、繋ぎ倒すゲーム展開がベーシックなものとなりました。しかし、この日はここから「繋ぐ横浜FC、耐えてカウンターの東京」という構図になります。横浜FCの狙いは「左で作る」がメイン。左CB朴がワイドに開いて左SB宮崎を高めに押し上げ、その宮崎と左SH藤田祥に結構はっきりとタッチライン沿いにポジションを取らせて谷澤、徳永あたりを外へ引き出すことで、東京のボランチタッチラインの間にフリースペースを作り、そこに高地が上がってきたり、2トップのカズ、カイオが下りてきたりしてボールを受けて前を向く、あるいは大きくサイドチェンジをして右サイドで1対1や2対2のシーンを作り、そこで勝負してクロスというものだったと思います。で、その左サイドの作りに対して、どうにも東京のプレスがはまらない時間が続きました。特に谷澤と徳永のところで「どちらがどこまで面倒を見るのか」というコミュニケーションが無く、2人で1人を見ちゃってフリーを作るとか、逆にどちらもどちらに任せてしまってプレスがかからないといったシーンが何度も見られたので「ちょっと怖いなぁ」なんて思いながら見ていました。実際25分にはそういう曖昧な守備を宮崎に突かれ、ゴール前で危ないシーンを作られてしまいます。
 ただ、この日の東京はそこでバタバタすることも、ズルズルッと失点することもありませんでした。試合後に羽生は

今日は先制をしたのち、横浜FCにある程度ボールを持たせてもいいと割り切った。チームとして、プレスが前からはまらなかったときの判断もよかったのではないか。何より相手のリズムになったときに、ピッチの中でそういうことを話し合って意思統一できたことがよかったと思う。

 と語っていましたが、なるほどピッチで話し合いをするシーンが前半から見られましたし、先の25分のピンチを凌いで以降は、横浜FCの攻撃が結果的にはワンパターンだったこともあり、ほとんどピンチを作られることはなくなりました。そして、ここからは東京のカウンター祭り。結果的に追加点を得るまでには至りませんでしたが、横浜FCに「このままではキツイ」と思わせるには十分な内容で前半を終了します。
 後半。前半ほどはっきりと受けに回ることはなくなり、ポゼッションでもある程度優位に立ちながら試合を進めます。このあたりの切り替え、使い分けができるようになったのは、今年ここまでの1つの成果と言っていいでしょうね。ただ、横浜FCも切り札であるフランサの投入で攻撃に新たなリズムが生まれ、64分には野崎が権田に冷や汗をかかせるシュートを放ちます。そしてこの後、この試合…どころか今シーズンで一番心が震えたシーンが訪れました。先ほどの野崎のシュートで得た横浜FCコーナーキックを凌いだ直後、守備に帰っていた東京の選手がほぼ横一列に並んで、みんなで身振り手振りを交えながらコミュニケーションを取っていたんです。その映像たるやなんかのドラマかよ!ってほど画になっていたんですが、それを見た瞬間「あ、今年大熊監督が求めてきた「本質」や、阿久根社長が促がした「自立」が、1つ形として出たのかな」と思い、相方に「これ、もうすぐ点入るよ」ってつぶやいた記憶が残っています。そして、それが現実のものとなりました。その形も、ナオのフリーランを見逃さなかった梶山のパス精度、復調気配を誰もが感じたであろうナオの一連の所作、持ち味である極上のフリーランと冷静さを見せ付けた羽生のシュート、いずれをとっても美しいの一言。単純に点差が広がった以上に、横浜FCに手をつかせる説得力に満ち溢れた流れでした。さらに2分後、今度はこの試合キレていたカウンターから羽生→梶山→ルーカス→羽生で3点目。ワッショイせずに、永遠に続くんじゃないかと思うほどの大「ハニュー」コールが、晴天の国立競技場に響き渡りました。この後のゲーム進行も、坂田を入れてスピード感を落とさず、(谷澤の足が攣ったこともありますが)上里を入れて中盤を締め、しかし梶山を1列上げることで追加点の狙いも消さないというほぼ完璧な流れ。1つ決定機は作られてしまいましたがそこはご愛嬌。これまでとは違う快勝劇を、2万強の観客に見せてくれました。


 中2日で北九州戦。この試合は横浜FC戦とは180度様相を変え、「繋ぐ東京、凌ぐ北九州」という構図が早々に出来上がりました。その中で、「4-5-1というより4-1-4-1に近い形でスペースを消して、タイトに積極的な守備」(大熊監督)をしてきた北九州に苦しみます。やり方としては、東京のSBにボールが入った際に1人がかなり強くプレッシャーをかけてボールをタッチライン沿いに追いやり、SBやSHを囲い込んで数的有利の場面を作って奪いきる、というのが1つ大きな狙いに見えました。当然東京としてはそこをいなしつつ、北九州の守備がかなりワンサイドに人を寄せてきていて、それを逆手に取ってCBやボランチを経由してサイドを変えて攻める、あるいは楔のパスを狙うことを主眼にプレーしていたように思いますが、まずルーカスがガッツリ狙われ、ボールは入るけどDFを背負った形でしたプレーさせてもらえず、同時に羽生や絞ってきた谷澤に対してもしっかりとマークがついていることで、楔のパスによるダメージを与えられない形を作られます。と同時に、「前半は相手が1トップで、中盤に人数をかけてきてスペースが消されて」(椋原)いる状態の中、しかし森重、今野に対してはあまりプレッシャーがなかったために、この2人がハーフラインあたりまでは簡単にボールが持ち上がれてしまう状況となりました。で、特に森重の持ち上がりなんかは凡夫なCBをはるかに凌駕する、この試合ピッチに立っていた選手の誰よりも巧みなもので、「お前ポジションどこだよ!(笑)」と何度も言ってしまうほどでしたが、その結果、東京の最終ラインがハーフラインぐらいまで押し上がって両チームがコンパクトに「なりすぎた」ため、中盤やボールと逆サイドにもほとんどスペースが生まれない、だから縦パスを出せる機会がなく横パスが多くなるというなんとも痛し痒しなことになってしまいました。その上で、北九州の守備がとにかくボールホルダーにアタックするもので、前半は気力・体力充実しているため、最後の一歩で足や身体の投げ出しがことごとく成功し、クロスを上げきれない、シュートを撃ちきれないという状況が生まれました。
 と、ここまでを文字で振り返ると、細かいやり方は違うものの、実は北九州ホームの7/30とほぼ変わらない試合展開でした。で、あの時先に我慢できなくなったのが東京で、緩慢な攻→守の切り替えを突かれて失点を喫し、その後の攻撃もロングボールが増えてしまってジ・エンドとなったわけです。ただ、あの時はハーフタイムに嫌な予感しかしなかったのに対し、昨日はいけるでしょ、という気持ちの方が強かったですね。それは、「北九州の攻撃がパスの回りはスムーズだけど、アタッキングサードでの怖さが全くなかった」「『目を覆いたくなるようなミスやミスパスのシーン』(三浦監督)が、7/30よりは明らかに多かった」「いくら涼しくなったとはいえ、この守備が90分持つとは思えない」という3点から。焦れずにやり続られければ、そのうち得点は生まれるというのは、確信に近いレベルでそう思っていました。まあ、その先制点はあまりにもラッキーな形で転がってきたわけですが、しかしあのプレーの流れで椋原がバイタルエリアまで上がってきた点は素晴らしかったですし、北九州が潰しどころとしてきたサイドの攻防から得点が生まれたのは、流れをググッと引き寄せるに十分なものだったと思います。
 ここから残念だったのが、失点後から北九州の選手の体力が徐々に落ち始め、前半は効果的だったアグレッシブなプレーが、後半は半歩、一歩遅れることでダーティーなプレーへと姿を変えてしまい、それを主審が全くコントロールできなかったことで試合が荒れてしまった点。もちろん、アフターチャージやバックチャージと言ったプレーを、選手はなるべく控えるべきではあります。しかし、主審がそれを取らない、流すのであれば、選手は「やってもいい」という判断をするでしょう。あるいは、やられたらやり返すという気持ちも大なり小なり芽生えるでしょう。繰り返しになりますが、それを是にしてはいけませんし、それをコントロールするのが主審の役割なのに、この日はそれが全くできませんでしたね。そこまでは本当に素晴らしいゲームだったのに…というのがありながらも、次の1点が勝敗を左右する展開になりました。そして、それをもぎ取ったのは東京の華麗なパスワーク。森重→ナオ→羽生→谷澤→ルーカスでドン!でしたが、森重の持ち上がりが完璧で北九州の最終ラインがズルズル下げられ、ナオからパスを受けてリターンした後の羽生の縦へのフリーランでDFが1人引っ張られてラインにギャップができ、ナオからパスを受けた谷澤が2人を引きつけた上でのヒールパスでルーカスは完全にフリー、落ち着いて流し込むだけでした。複数人の意図が全て噛み合うゴールというのは、ホントに見ていて惚れ惚れしますね。あとは上手く時間を費やして終了。これで4連勝となりました。


 さて、冒頭の話。大熊監督はそれぞれの試合後、

相手の集中力はなかなか切れなかったが、そこできっちり耐えたことが後半に繋がった。横浜FC戦後)

前半も、相手のカウンターを耐えながらきっちりと全員で守り、よい守備はできていた。(北九州戦後)

 と語り、守備の手応えを口にしました。しかも、横浜FC戦はあえて受身に回ることでカウンターの効果を引き出す、北九州戦は攻めに気が回る中でもしっかり潰すところは潰すことでより攻撃に気を回せる、いわゆる「いい攻撃はいい守備から」を地でいくサッカーができました。「大熊監督のサッカーとは?」とサッカーファンに投げかければ、大半の人が「縦に早い(カウンター)サッカー」「泥臭く守備を頑張る『部活サッカー』」という答えを導き出すのではないでしょうか。そして、そんな人が夏場に連勝していたときのサッカーを見れば「え!?大熊監督にこんな引き出しあったの?」と驚かれるでしょう。実際、私も驚いたクチです。しかし、このサッカーの源流は城福前監督にあります。ここでも何度か書いたとおり、開幕当初の狙いはこれまでの大熊監督のイメージどおり、平山をストライカーとして縦に速く、サイドを強調したサッカーでしたが、怪我人による影響、城福さんが口酸っぱくやってきたスタイルを体現していた選手たちが多数いたことから、繋ぐサッカーへと転換を図り成功しました。だからなのか、「前任者の遺産で食っているだけ」「大熊監督は何もしていない」そういう評価も見聞きします。
 極端な論を、という但し書きをつければ、その評価が見当違いであるとは言い切れません。全く怪我人なくシーズンが進んだとしたならば、果たして繋ぐサッカーに再度針が振れなかった可能性だってあったでしょう。ただ、それは大した価値を持たない「過去の仮定」の話。今どうなのか?と見た場合、大熊監督が事あるごとに強調していた「サッカーの本質」という言葉−走り負けない、当たり負けない、守備をサボらない、そして、選手たちが「自立」する(ここを細かく掘り下げたらブラジルまで行っちゃいそうなので、それはパス)、そういったことを指す言葉だと私は理解しています−がようやくチームに浸透し、監督の意図と選手たちの意図がだいぶ噛み合ってきたのかなと思っています。前任者のもたらしたプラスの面を活かしつつ、自身のパーソナリティもそこに組み入れることで緩急をつけられるチームへと生まれ変わろうとしている今のFC東京。そこまで持ってきた大熊監督の手腕と言うのは、私は評価されてしかるべきだと思っています。「何もしていない」だなんて、口が裂けても言えませんよ。