続々々・メガネのつぶやき

思ったことを、思ったなりに、思っただけ。

Life is full of ups and downs

 少し間が空いてしまいました。先週末の福岡遠征から、今週は仕事で監査があり、なかなか家に帰ってパソコンを立ち上げる時間がなかったもので。しかしまあ、色々とあった1週間でした。十把一絡げに、徒然振り返ってみまする。


 時系列どおり、先週末の北九州1−0東京からお話を進めましょうか。久々にアウェー戦を現地で見ることとなったゲームで(相方が福岡県生まれなもので)、試合前には「アウェーってこんなにワクワクしたっけ?」などと軽口を叩いたりしていましたが、いざ試合が始まってみると、時間を追うごとにそんな余裕はどっかに吹っ飛んでしまいましたとさ。
北九州が東京をよく研究し、いつもとは若干異なる戦い方をしてきたことは事実ですが、その戦い方にバッチリとはめられてしまって、「ボールは回るけどフィニッシュが…」とか「クロスの精度がねぇ…」と言ったシーンが続出。これは、(今の東京に限らず)ボールポゼッションを主体として攻撃を組み立てたいチームの典型的な負けパターンの1つで、おそらく多くの方が「何でもいいから先制点取らないときついぞ…」と思われたはず。で、時間的にもちょうどお誂え向きな感じでPKを得た時には、決まる前から何かホッとしてしまった自分がいたんですが(ゴール裏も「ジャーンケン!、ジャーンケン!」というコールw)、そういう時は得てして決まらないもので。別に、俺のせいじゃないぞ!…それはともかく、これでガラッと試合の流れが変わることこそありませんでしたが、しかし、東京からすれば「なんか、雲行き怪しいな…」と思わざるを得ない前半ではありました。
 後半も流れは変わらず。シュートまで持っていく形は増えたように思いますが、北九州DFの体を張ったプレーに弾かれたり、枠に飛ばなかったり、相変わらずクロスの精度はなかったりで、スカッとしない攻撃が続いてしまいました。そして59分、その前の攻撃終わりから守備への切り替えが多少緩んでしまい、相手GKからの攻撃だったと思いますが、パス4本でアッサリとゴール前まで迫られ、最後は池元のゴラッソで失点を喫します。この一連の北九州の攻撃は素晴らしかったんですけど、それにしても全く前からのプレスがかからず、誰もパスコースに入ることができず、スイッチ気味の池元のフリーランについていけず、では失点もやむなし。このシーンは素直に「やられたわ」と思うしかありませんでした。その後ルーカスや大竹を投入して同点、逆転を目指しますが、意思統一が図られた北九州守備陣を崩せないでいるうちに攻撃が単調になってしまい、はね返されてはセカンドが拾えずカウンター、というシーン連発で、「1−1になる前に0−2になるんじゃね?」と思わされる局面もあってまあヒヤヒヤ。ただ、さすがに残り15分から1−0で勝ちきる形に慣れてないのか、北九州もせっかくのマイボールをただボカーンと蹴ってしまったり、攻めの人数が足りずにあっさり失ったりと東京にボールをプレゼントしてしまうシーンがいくつも見られ、そこに付け入る隙が生まれたように思ったんですが、一度単調になってしまった攻撃のリズムが元に戻ることはなく、攻めきれずに奪われるわ、ロングボールを蹴って競り合ったこぼれを拾えず失うわ、まあ久々にどうにもならない雰囲気になってしまい、そのままタイムアップ。今季最多となる(らしい)6,909人を飲み込んだ本城陸上競技場はやんややんやの大騒ぎ。一方東京サポは久々のダンマリ。何もかもが対照的な1戦となってしまいました。
 でも、これは「良い負け方」だったと思っています。というのも、負けることでしか分からない課題、浮かび上がってくる欠点というのは絶対にあって、それを感じることができる試合内容だったのが、後々絶対にプラスの影響をもたらしてくれると思っているので。それに、今の東京は「♪誰がなんと言おうと〜、周りは気にするな〜」というチャントよろしく、ホームであれアウェーであれ、相手が上位であれ下位であれ、絶対に揺らがないスタイルで戦っているが故に「絶対評価」ができる状況にあって、(これは勝ち負け関係なくですが)試合ごとにしっかりとトライ&エラーができている印象があるので、この敗戦で得た課題も克服してくれると信じることができますしね。まあ、アウェーでの敗戦は体に堪える部分がありますけど、敗れてなお前向きなれるチームとともに歩めていることを確信できたことは、旅の何よりの成果だったかなと思っています。「アウェーはスカパーで!」匿名PR部課長ぐらいは自負してもいい私ですが、今年はもう一丁アウェー(9/17愛媛戦)に行きますんで、そのときはスカッと勝ち点3をよろしくお願いします!
 なお、次の日は待望の小倉競馬場レベスタ(福岡−名古屋)に足を運ぶことができました!結果はもにょもにょでしたが、なんでも現場というのは素晴らしいものですよ。レベスタがあんなに空港に近いとは思っていませんでしたし。


 木曜にはA代表及びU−22代表のテストマッチメンバーが発表され、東京からはA代表に今野、U−22代表に権田、草民が選出されました。今野については、もはやどこにいようと不動のCBという扱いでいいんでしょう。J2でプレーはしていますが、そのプレーぶり(特にプレーが1つ切れた後のリアクション)を見ると、その意識の高さはJ1の選手にも全く引けをとりません。他チームのサポは、普段はあまりJを見ないけど代表は応援するといった方々、全く心配無用でございます。権田はチームで出番を失っているだけに、色々な思いを抱えての選出だとは思いますが、しかしU−22においては絶対的な守護神であり、精神的支柱であることを考えれば、余計な雑念は捨ててやってきて欲しいなと。
 そして草民。和田拓也東京V)、斎藤学(愛媛)とともにJ2にいながらにして現U−22代表初選出となりましたが、J2までしっかりと目を広げていれば納得の選出でしょう。和田はスタメンに定着したその節から東京Vが上り調子になり、その積極的なオーバーラップとしぶとい守備で存在感を見せ始めていますし、斎藤はレンタル移籍が大成功して、今の愛媛では絶対に欠かすことのできない選手にまで成長。そして草民は、持ち味だった独特な攻撃センスとともに、課題だった守備でも献身性や運動量を徐々に見せ始めており、今なら代表に呼んでも問題ないという判断とのこと。その他にもJ2には柿谷(徳島)、阿部、椋原、大竹(東京)、水沼(栃木)、安田(北九州)、横野(札幌)、岡本(鳥栖)、高橋、河野(東京V)など、クラブレベルではスタメン(準スタメン)の座をガッチリ確保していて、代表に呼ばれても遜色ないプレーをできている選手はたくさんいます。2部リーグの存在価値の一つに「若手の成長の場」というものがありますが、J2もようやくそういう立場になったんだなぁ…と思うと、何やら感慨深いものがありますね。って、だいぶ蛇足が過ぎましたが、草民には自分のありのままを出し切って、関塚監督にしっかりアピールしてもらえればと思います。


 同じく木曜、1人のサッカー人が、あまりにも痛ましい死を迎えることとなってしまいました。
 サッカー界においてはこれまでも、心臓疾患による意識不明や急死という辛い出来事と向き合ったことがありました。記憶に新しいところでは、マルク・ビビアン・フォエ(カメルーン)、ミロクシュ・フェヘル(ハンガリー)、ダニエル・ハルケ、アントニオ・プエルタ(ともにスペイン)、加藤康祐氏(当時アルテ高崎)らが試合中、あるいは練習中の心臓疾患で命を落とし、イバン・デ・ラ・レッド(スペイン)は一命こそ取り留めたものの、サッカー選手としてのキャリアに幕を落とさざるを得ない状態になった、あるいは、リリアン・テュラム(フランス)や浦和や東京Vにも所属したワシントン(ブラジル)が、最終的には心臓発作を危惧してキャリアに終止符を打った、などが思い出されます。いずれも2000年代に突入してからで、確かに近年こういったケースが増えたように思いますが、サッカー(を含めた激しい運動時)と心臓発作については、近年の医療発達、医学進歩とともに色々な側面から検証されていると聞いていて、心筋梗塞が起こる可能性の1つとして、

激しい運動を行うには、体内に多くの酸素を取り込む必要がある。そのうちの数%が有害な活性酸素という物質に変化し、血管の内側の細胞を傷つけ、血液に含まれる脂質などが血管内に入り込むと、動脈硬化の原因になることもあるという。
「心臓外科医の日常」(http://cvslife2030.blog.fc2.com/blog-entry-219.html)8/4付エントリより引用

 と語る方もいます。また、現在は大きな大会の前には全選手に心臓検査を行う、あるいはクラブレベルでもシーズン前のメディカルチェックでしっかりと検診し、そのリスクをしっかりと見ていると聞きます。でも、これは無知な人間の私見ですけど、「医療発達=発症リスクの低減」とならないことがもどかしいところであり、仮に今後ますます医学が進歩して、本当に小さな異常や些細な違和感から数々の疾患等を診断できたとしても、それをもって「あなたは○月×日に、▲▲により命に重大な影響を及ぼす瞬間を迎えます」と断定することは不可能なのかなと。それぐらい、人の生き死には人智をはるかに超えたところにあって、極めて冷たい言い方をすれば、今回のケースも「これが人生なんだな」という言わざるを得ません。
 しかし、幸か不幸か人間には「感情」が存在します。人の生き死にを−それが自分に近ければ近いほど−黙ってやり過ごせるほど単純にはできていません。松田直樹という人間、サッカー人は、「やりすぎだよ!」ってぐらい感情に真っ直ぐに生きてきたという印象があります。それは、時に感情の発露が越えてはいけない一線を越えてしまったとしても、「あぁ、マツだからしょうがねぇな」と周りを変に納得させてしまうほどパワーにあふれたものでした。だからこそ、そんな彼を見てきた、彼と接してきた側の人間の感情も強く揺さぶられ、いつの間にか松田直樹という存在がしばしば気になってしまう、あるいは頭から離れないほどになったのかなと。そして、そんな彼の死を受け入れられない、信じられない、そういった感想があちこちから出てくるのは、至極当然のことなのかなと思います。
 過去を振り返れば、歴史とは悲しい出来事、苦しい現実、痛い思いの積み重ねが1つの側面としてあると言えます。今はただ、残念、悔しい、やるせない、その言葉しかありません。けれど、それらをそのままマイナスにしておくのではなく、悲しさを喜びに、苦しさを楽しさに、痛さを優しさに、辛さもまたエネルギーに変えて生きていけるのが、人間の強さでもありますよね。ならば私達は、「オレ、マジ、サッカー好きなんすよ」「ほんとサッカーって最高だし…」と語ったマツが生前伝えようとしたこと、残してくれたものをしっかりと受け止め、マツにあの世から「おい、日本サッカー界甘いんじゃねぇの?俺みたいなやつが、まだ必要なんじゃねぇの?」と言われないように歩みを止めることなく進んでいくこと、サッカーを見続けていくことが、最大の弔いになるのではないかと私は思います。
 末筆ながら、松田直樹とそのご家族・ご親族の方々に、深い哀悼の意を捧げます。