続々々・メガネのつぶやき

思ったことを、思ったなりに、思っただけ。

被災地に赴いて

 というわけで、帰ってきましたよエントリを、書ける範囲で簡単に。畳みます。


 5月19日から24日までの5泊6日で、宮城県石巻市へ行ってきました。今回は、主に「被害家屋(罹災証明)再調査申請に関する業務」を行いました。
 再調査申請とはなんぞや?というお話から簡単にします。その前段として、そもそもり災証明とは?というところですが、被災者には、被災した家屋1軒ごとに「り災証明書」というものが発行され、それをもとに各種行政支援(主に金銭面)を申請したり、各個人の保険や届出に利用したりという書類なんですが、その一次調査については、市内全ての家屋に対して、なるべく速やかに被害判定を下さなければならず、「津波による家屋被害」の程度を「外観の目視」でもって判定するにとどまったことで、外観以上に「地震による家屋の内観被害(壁、柱、天井、基礎などの被害)」を受けていた場合には被害判定が低くなるケースが多かったとのこと。その不服申し立てが再調査申請となります。さらに詳細を知りたい方は石巻市役所のサイトをご参照ください
 当然不服申し立てであるため、窓口へ来られた市民の方は深刻で切実な思いを抱えていらっしゃるケースが多く、一口に再調査申請と言っても、窓口でお話いただく内容は多岐に渡っていて、まずここで被災者の方々の厳しい現実を思い知ることとなりました。また、窓口業務をすると聞いた瞬間から、「ここに立つ(私を含めた)東京都の人間は、その間は石巻市職員だと思って、市民の方のあらゆる感情をしっかりと受け止めて適切な対応をするぞ!」と強く思い、なるべく丁寧に、分かりやすく対応しようとしていましたが、何気ないと思って発した一言が思わぬ方向に話を持っていく結果になったりするなど、難しさを感じながらの業務となりました。中には、「東京からわざわざ来てもらって…」と言ってくださる方もいらっしゃいましたが、しかし当然ながら「東京から来た人に言っても…」とか、「東京の人じゃ話が通じないから、(石巻市役所の)職員と変わってくれ」と仰る方もいて(私だってそう言うかもしれません)、ある面では「この支援派遣にどこまで効果があるのか?」と無力さも感じた部分も正直ありました。
 しかし、実際の市役所業務は大変な混乱状態にあり、支援派遣職員(他に仙台市兵庫県徳島県長崎県などから職員が派遣されていました)に各業務などを応援してもらわなければ成り立たない現状であることは間違いないと感じました。また、現地職員の方も被災者であり、自分の身の回りの整理が完全にできていない中、それと並行して救済する側として市民の様々な要望に対応していかなければならないためイレギュラーに勤務しており(ローテーションで休んではいるようですが、平日・土日関係なく開庁しており、その対応のために必ずしも十分な休息はできてないという印象を受けました)、すでに約10人が病気休暇を取得したというニュースもあるほど疲労はピークに達していると感じました。その点を踏まえれば、他の都道府県が中長期に渡って支援を行う必要性は強く感じましたが、しかしいつかは市役所職員だけで業務を行える体制に戻らなければならないことを考えれば、どこまで現在の規模のままで支援を続けることが正しいのか、見極めが難しいというのが正直なところではあります。まあ、それは私一個人がどうにかできるレベルの話ではないので、これ以上は言いませんが。


 実際の被災地の現状についても少し。今回は実際の再調査に同行する業務が次陣へ先延ばしとなったため、窓口に来られた市民の方の話や、業務開始前及び終了後の市役所と宿舎の往復(レンタカー移動)時に短い時間見て回るにとどまりましたが、徐々に復旧が進んでいる地区はまだごく一部で、震災時から全く手付かずの地区も多数あり、その景色は想像を超える酷さでした。物見遊山で来たわけではないので、写真等は数枚撮る程度にしましたが、それでも初日は全くシャッターボタンを押す気にならないほどショッキングな光景が広がっていた地区もありました(最後に撮ってきた数枚を載せます)。また、「り災した我が家をどうにかしなければいけないが、現場へ行くと体調不良をきたしてしまうために手付かずのままにしている」と訴えていた市民の方や、避難所生活をすでに2ヶ月以上強いられている中、望まない集団生活におけるストレスや、仮設住宅の設置の遅さや倍率の高さに対して我慢や不満の限界を訴える方が多いのは印象的でした。先ほど職員の疲労がピークに、と書きましたが、それは一般市民の方も同じ。復旧が全く進んでいないわけでも、希望が全くないわけではないもありませんが、そのスピードや先の見通しが、市民にポジティブな気持ちを抱かせるレベルにはないことは(とても残念なことですが)明らかで、今後の課題は復旧・復興の具体的なデザイン(スローガン、グランドデザイン的な復興基本方針はすでに示されています)をどれだけ早く内外に示し、それを実行に移せるかというところになるのかなと。


 わずか5泊6日という日程の中、自分ができる限りの事はしてきたつもりである。しかし被災地の実情の一端を窺い知る中で、一個人としての限界を感じる部分は多分にあった。その中で自分は何ができるのかを改めて考えさせられましたし、それを考える契機としては、(私のエゴであり自己満足ですが)非常に有意義なものでした。どうやら向こう1、2ヶ月は現在の規模で支援派遣を継続するとのことで、解散前に「状況次第では2回目の派遣をお願いすることがあるかもしれない」という話もでました。その際に再度また手を上げるかは、正直なところ現時点では決断できない心境ではありますが(終了後の疲労が予想以上で。私の次陣から8泊9日となっているため)、もろもろの状況が許せばまた現地に赴いて、それが叶わずとも東京にいて自分のできる範囲で、被災地・被災者の支援をしていきたいと強く思っています。



P.S とりあえず第一弾として、少なくとも今年いっぱいは毎月馬券代としていた金額を義援金として寄付したいと思います。全く競馬・馬券をやめるってことじゃないけどね。