続々々・メガネのつぶやき

思ったことを、思ったなりに、思っただけ。

一つの文章の「。」

 短い文章ですが、チラシの裏なので畳みますよっと。


 場所、内容、詳細な日程等については伏せますが、この度、勤務する会社の一職員として被災地へ赴くこととなりました。(5/22湘南戦はこの日程中であるために見に行くことができません)
 あの日から、2ヶ月が経ちました。私の実家や親戚が多く住む地域は幸いにも停電した、ぐらいで済みましたが、しかし、東北で生まれ、東北で育ち、東北を愛する一人間として、今回の震災に対してはいろんな感情が渦巻いたところ。実際被災された方と比べれば何千、何万分の一だとは思いますが、自分の中の喜怒哀楽に振り回されたこともありました。当然、自分のできる範囲での支援は、質も量も大したことはありませんけどやってきました。しかし、実際現地に足を運んで、直接被災者のために何かできないか?という思いは募金や支援物資を提供することだけでは消え去ることがなく、でも、自分の置かれた状況に甘えてしまい、自らアクションを起こすところにまでは至らないまま日々が過ぎていきました。そんな中、4月に入ったある日、私が勤務する会社で被災地支援派遣を始める、というのを相方から聞きました。その瞬間、これは願ってもない話だと思いましたし、相方も「行くの?」とか「行ってみれば?」ということは一切口にせず、ただ「こういったの、あるよ」という伝え方で言ってくれて、乗せるのが巧いなーと(笑) ゴホン。加えて職場の方々にも、席を外してしまうことについて一切苦い顔をすることなく理解していただけました。
 まあ、はっきり言ってしまえば、被災地の、被災者のためにという気持ちの裏に、被災地の、被災者の現状をどうしてもこの目で見たい、という自己の欲求を満たす目的があることは否定しません。それをエゴだとか、偽善だとか、自己満足じゃないか!という批判は甘んじて受け入れます。だけど、今回一職員として行う作業は通常のボランティアの方々では絶対にできない仕事であり、しかし、確実に被災者のためになる仕事だという自負は持っています。また、すでに先陣隊としていかれた方々の報告を読ませてもらうと、皆さん口を揃えたように「想像していた以上に、悲惨な(衝撃的な)光景が広がっていた」「何かを感じようとしなくても、五感に飛び込んでくる」「支援を終え、帰ってきてからの疲労感がすごかった」、と。中には「行く前より考える事が多くなった」と仰っている方もいて、そのことを心配してくださる方もいます。でも、例えそうなったとしても、また、遅すぎるとか今更だとか、自発的ではないとか何とか言われようと、そうしなければ自分自身がこの震災に対しての第一段階を締められないなと思ってしまったんだから、それに素直になるべきかなと−それが、見出しにした『一つの文章の「。」』です。これは、星野仙一楽天監督が、地震発生からしばらく経ち、パ・リーグ開幕戦の5日前となる4/7になってようやく被災地へ行くことを決断した気持ちを報道陣に問われてつぶやいた一言。とあるテレビ番組でこのシーンを見て、勝手に同じ気持ちになったので引用させていただきました−。
 目に見える全てのものを現実として受け止め、その中で自分ができることをしっかりと、ある意味では淡々とすることが、今回の支援派遣での目標というか、なすべきことだと思っています。現地で何を感じるか、帰ってきて何を思うのか、それは全く想像がつきません。でも、絶対に被災者のプラスに、自分のプラスになるように大事に過ごしたいと思います。