続々々・メガネのつぶやき

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Jリーグディビジョン2 第12節 草津2−1東京 雑感

「(後半途中からポジションを上げたが)ボールを放り込めという感じだったが、まだ残り20分ぐらいあったし、僕が上がってしまうとゲームが崩れると思った。上がるにしてもボランチから飛び出す風にしないと、FWにに張っていると完全に3トップになる。セザーや達さん(鈴木)も張っちゃっていて守備ができなくなるのはキツイ。『FWに行け』と言われたが上がるのはボランチまでかなと思った。残り5分ぐらいは前に行った。(1失点目は)クリアミスはあったが、自分が修正できなかった」

 これは、エルゴラに掲載された森重の試合後コメントです。スカパー観戦の方ならこのコメント、そして、試合終盤に集音マイクを通じて聞こえてきた、大熊監督の冷静さはどこに?とも受け取れる「森重下がるな!(上がれ!)」の噛み合わなさから、いろんな思いを抱いたのではないかと思います。同様に梶山も、

「(前半は相手が風下を選んだが)相手は蹴っていたから、ボールが止まることを分かっていたと思う。前半はほとんど蹴る作戦で、相手の狙いどおりだった。こちらがプレスに行ってもすぐに蹴ってきた。それでも『前に行け』と言われるから、(最終ラインとの)距離が開いてしまうことは仕方がなかった。後ろはラインを上げられるのなら上げてほしいが、前は『裏を狙え』と言われるから、どうしても離れてしまう。サイドハーフも『前に行け』と言われるから、サイドハーフが中に入って間合いを作れればいいが、カズ(上里)が受けた時にかなり距離があった。受けたかったけど(パスが)届かない感じだった」

 と、采配(事前のゲームプラン含む)と実際に齟齬についてコメントしています。当然、草津が東京に立ち向かうには?というところのスカウティングが上手くいかず、それを修正させられなかった監督・コーチ陣は責められるところがあるでしょう。しかし、実際ピッチに立ってプレーしているのは選手で、実際に状況を把握して修正するのは監督・コーチ陣だけの仕事ではありません。そういう意味では、森重のように状況を判断した結果「自分の方が正しい」とか「いや、こうした方がチームのためになる」と思うなら、極論監督の声になんか耳を傾ける必要は全くないんです。監督の指示にだけ従っていればいい、というのはプロのすることじゃないでしょう。まあ、あのやり方が正解だったかは分かりませんけど、大熊監督の声に対して顔も、耳もむけなかった森重を見て「笛吹けど踊らず」と捉えた方もいるでしょうけど、この試合に限って言えば、私は森重の方が試合全体を観れていたなぁと思いますし、監督との齟齬は試合後に「何で指示に従わなかった!?」って言われてからしっかりコミュニケートすればいいだけの話かなと。
 そういう意味では梶山のコメントは(言い過ぎかもしれませんが)ピッチに立って戦っている選手の責任を放棄した、と私は受け取ってしまいました。なぜ試合中ピッチの上でそれを味方に伝えないのか?なぜ試合中に意見をぶつけ合わないのか?それが疑問でしょうがないんです。…もうこの際だから書いてしまいますし、例に出すのがホントは嫌なんですけど、闘莉王ぐらいにサッカーを知ってて、それをストレートに表現できる選手が出てこないとこのチームは変わらないんじゃないか?って思ってる節もあって。まあ、闘莉王はやり過ぎだったとしても、しかし「自分の思いがしっかり伝わる伝え方」を覚える必要があるんじゃないかなぁと。いくら頭の中に理路整然とした、素晴らしい意見が浮かんだとしても、それを言葉にしなければ、それはただの空想であり妄想でしかないですし、「背中で語る」とか「プレーで引っ張る」ってのはある側面では必要なことですけど、しかし見方を変えれば、それはコミュニケーションを怠っている、放棄していると捉えられても仕方のないことなんでは?というのは、暴論でしょうか?
 組織を構築することは監督の仕事ですけど、それを実行するのはあくまで選手。事前の指示を与えるのは監督ですけど、試合の流れを見てそれをやるもやらないも、生かすも殺すも、それは選手次第。監督の限界を見極めるのも大事ですが(正直、大熊監督のままでは…ね。もちろん、だから応援しないとかってことは1ミクロンもあり得ないですよ)、選手自身の変化を求めるのも、今の東京には必要な気がしています。湘南戦は、ホームですがとある理由で見ることができませんが(明日か明後日あたり、それについては少し書きますが)、今は、とにかく感情をあらわにし、ピッチ上でしっかりと言葉を交わす選手たちの姿が見たいものです。