続々々・メガネのつぶやき

思ったことを、思ったなりに、思っただけ。

Fly to the MOON

 今日の報道ステーション内で、松岡修造さんが「アポロ11号」の乗組員であったエドウィン“バズ”オルドリンさんと対談していたものが放送されていました。そもそもオルドリンさんが来日したのはこちらの映画のPRも兼ねてとのこと。

映画「ザ・ムーン」公式サイト

 初めて人類が月面に降り立ってから40年が経ち、これまでは世に出ていなかった、NASAのジョンソン宇宙センターで冷凍保管されていたフィルムと10人の宇宙飛行士の話を用いて、今までかたられることのなかったアポロ計画の一面を1つの作品としてまとめたのが、映画「ザ・ムーン」。そして、この対談を見ていて本当にふと思ったのが、「なぜ人は、また月に降り立とうとしないのか?」という疑問でした。
 アポロ計画について詳しくは触れませんが、1969〜72年の間にアポロ11〜17号までの6機*1、計12人が月面に降り立つことに成功し、さまざまなミッションによって月についてのいろんな調査を行い、さまざまな発見があったという風に記憶しています。その反面、アポロ計画は254億ドル(現在の価値に直すと約1350億ドル(=約12兆1500億円)!)もの費用を要し、ベトナム戦争真っ只中のアメリカ経済を大きく疲弊させた側面もあり(その後、この計画で得た技術を使った波及効果はあったようですが)、その当時より危機に見舞われているアメリカ(世界)経済の状態で、遠い遠いお星様のためにお金を浪費している場合ではないという意見もあるでしょう。また、米ソ冷戦におけるお互いの主導権争いといいましょうか、意地の張り合いが生んだ「まやかし」であることも否めません。嘘か真か、いまだに「捏造説」を声高に叫ぶ人すらいますからね。
 でも、今の世の中、何も訓練してないただのお金持ちが国際宇宙ステーションに滞在できるわけですよ。それくらい科学技術、宇宙技術は格段の進歩を遂げているわけです。そんな中で、再び人類が月へ降り立つことができれば、それことアポロ計画では知りえなかったこと、あるいは今の無人探査機では得られない大きな何かがつかめるんじゃないかとぼんやり思ったわけです。
 調べてみると、日本は2007年にアポロ計画後最大級の月探査機として注目を浴びた「かぐや」の打ち上げに成功し、早ければ2013年に後継機を送り込み、2018年までに一定の成果をあげるべく頑張っているようですし、中国も「嫦娥計画」なる月探査計画を打ち出し、2007年には探査機「嫦娥1号」が打ち上げられ、さらに、インドやアメリカも月探査機を打ち上げる計画がある様子。しかし、これらはすべて「無人探査機」。有人という条件に限れば、アメリカの呼びかけにより国際間協力の下、有人月面基地を作ろうという動きがあるにはあるようですが、それもかなりおぼろげな未来の話で、実体性のある有人月探査については、計画がないといってしまっていいでしょう。
 ここまで書いてきてなんですが、正直な話し、私は天体学や宇宙にはほとんど興味がありません。夜空を見上げて「あ、これ○○座だ」と言えるものが一つもないくらいですから。でも、なぜか月だけは別なんですよね。自分が生きているうちに、アポロ計画の際に、月に始めて人類が降り立ったときに全世界の人が味わったであろう得も言われえぬ感情を味わいたいんです。だから、というわけではありませんが、いつの日かどこかの国が(もちろん多国間でも構いません)月へ向けての「浪漫飛行」をしてくれることを、願ってやみません。

*1:多くの方がご存知かと思いますが、アポロ13号は機体故障のため月面に降り立つことなく帰還しています。トム・ハンクス主演で映画にもなってますね