続々々・メガネのつぶやき

思ったことを、思ったなりに、思っただけ。

「言葉」にすること

 思いを言葉にすることは、決して簡単なことではありません。ふとした言葉が相手を傷つけたり、相手によって意訳され、自らが思ってもみなかった批判を浴びたり、なんてことを誰しもが一度は経験したことがあるはずです。また、発信先、対象者が増えれば増えるほど、発するべき言葉の選択は難しいものになります。政治、経済、エンターテインメント、スポーツ界、ひいては私たちの日常においても、それは実感を込めて言うことができるでしょう。

 このところ、「強いリーダーがいなくなった」という表現を耳にすることがいささか多くなりました。とかく、激動の昭和の時代を生き抜いてこられた方々から発せられることが多く、その言葉には「俺たちの頃は…」という自負と、「今の若いもんは…」という嘆きが含まれていると理解しています。

 これまではもしかしたら、ある一つの考え方が国民の中に潜在意識、あるいは共通認識としてあり、その意識・認識に沿ったなかでリーダーが強い言葉を並べていれば、そこに多少のブラフが含まれていたとしても、やや強引な考え方であったとしても、受ける側は頼もしさを感じることができていたのかもしれません。

 ただ、時代は変わりました。良くも悪くも価値観は多様化され、その多様さそれぞれに尊重すべきところがありながら、一方で多様さの数だけ主張も生まれ、一個人が発した言葉に対するリアクションは、おそらく10年前、20年前、30年前とは比較にならないほど、様々なものになっているでしょう。そんな中でチームを、グループを全員ある程度同じ方向へと導く言葉を見つけ、口に出す、あるいは文字することは、年々難易度を上げている気がしてなりません。

 

 

チーム(団体)スポーツにおいては、プロ・アマ問わず、規模の大小問わず、ほぼ必ず「監督」と「キャプテン」が存在し、強いチーム、タイトルを取れるチーム、ファンの心を捉えるチームにはいい監督、いいキャプテンがいる(いた)ということは往々にしてあります。一方で、監督という存在がそのチームに与える影響の大きさほど、キャプテンという存在がチームに影響を与える影響の大きさを、実のところ私はよく分かっていません。

 サッカー(≒Jリーグ)において、そう考える原因の一つが「結局、直接伝わってこない(きづらい)」から。昨今はインターネットメディアが増えたことにより、以前と比べればいろいろな情報、選手の声、監督の考えが伝わってくるようになりました。それでも、日々の練習をすべて追えるわけではなく、Jリーグに関しては試合前の公式会見がなく、試合後の会見等も映像で見られることは限られています。また、押しなべてチームの代表として声を発するのは監督であり、FC東京に関しては、公式サイト上での試合後選手コメントにキャプテンのものが必ずあるわけではありません。

さらに、近年は減ってきた気もしますが、キャプテンに「黙して語らず」なタイプ、もう少しカッコよく言うと「黙って俺についてこい!」とか「背中で語る」タイプが選ばれる傾向もあります。世界的に見て、日本がそうしたタイプをキャプテンに選びがちかどうかは分かりませんが、行間を読む日本語、空気を読む日本人にとってはいまだに、多くを語らないことが美徳である考え方は残っていて、スポーツ界においてもまだそうである印象はあります。

そもそも、キャプテンのコメントが必ずいるか?と思う方はいるでしょう。けれど、例えば毎試合しっかりとコメントを残してくれることで(できれば公式サイト上ではいの一番に表示)、キャプテンとしての考え、思いを点ではなく線で見ることができる、あるいはキャプテン(や監督)の思いとその他の選手の思いとの「差」を見ることでチーム状況を推し量ることができるかもしれないわけです。

 また、見えないところでしっかりとチームをまとめてさえくれれば十分でしょ、と思う方もいるでしょう。けれど、いろいろな物事が可視化されるようになってきたなか、最前線でグループを引っ張るべき立場の選手が表立って言葉も発さず、ただ静かにまとめあげていればいいという時代は、終わりを迎えつつある気もしています。つまるところ、そうしたキャプテンがまだ散見されることで、このくだりの冒頭にある「影響力は、よく分からない」に繋がるわけです。

 

 

 だからこそ(逆に言えば?)、様々な覚悟を背負いつつ、積極的に思いを言葉にしてくれる人、選手の存在価値は高いと感じています。いみじくもここ一両日、FC東京絡みで2つ、言葉を発する意味、言葉の持つ強さを考えさせられるインターネット記事がありました。

news.yahoo.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

 1つ目は、FC東京のレジェンドである佐藤由紀彦。現在はFC東京U-15むさしを見ていて、リンク記事はゴールデンウィーク中に行われた東京国際ユースでの一幕をフィーチャーしたもの。まあ、佐藤監督の思い、言葉もさることながら、これまたFC東京のレジェンドである藤山竜仁(こちらはFC東京U-15深川を見ている)が発した一言が尋常じゃない破壊力を持っていたことを思い知ったわけですが()、いずれにしても、FC東京(東京ガス)で選手として育ち、指導者に替わってもFC東京を強くしたいと日々を捧げてくれている彼ら2人の言葉には、おそらく2人が思っている以上の「愛情」と「重さ」が自然に付加されているはずで。

これまでもそうだったと思いますが、これからもU-15の選手たちにとって両レジェンドの言葉は時には痛いくらいに突き刺さり、時にはへし折られるくらいにぶつかってくるでしょう。でも、その言葉に「愛情」と「重さ」が引き続きありつけるのならば選手たちに思いはしっかりと伝わるでしょうし、その言葉を受けた選手たちがたゆまぬ努力を見せ、成長していってくれると確信しています。

 2つ目は、ついに現役引退を発表した石川直宏。まだ現役であるがゆえに、引退に関してはそう多くを語っていなかったようですが、会見の中で本人が「2015年の8月から約2年間リハビリの時期が続き、なかなか(プレーで)貢献できないもどかしさを抱えながら、言葉として伝えられるものを積み重ねてきました」と触れたとおり、ここ1、2年直接自分の口で、またはブログで、あるいはツイッターで、思いを言葉にする場面が増えてきたことは、多くのFC東京ファンが感じているはず。

 「やったことない(今やってない)やつに言われたくないよ!」とは、言われた側が意にそぐわなかった時に言いがちな言葉。もちろん、そう言いたくなる場面がないわけではありませんが、「やれないから言わない」「やらないから求めない」のでは、全員が中途半端に終わることもあります。石川はそうならないためも、FC東京を愛してくれているからこそ、自分の現状を理解したうえでなお、つとめて言葉を発するようになったのだと、私は理解しています。

 

 

 去る水曜日、FC東京U-18はクラブユース選手権決勝において浦和ユースを2-0で下し、見事に連覇を達成しました。その試合後、今季のキャプテンである5岡庭 愁人は取材に対して、以下の記事にあるようなコメントを残しました。

web.gekisaka.jp

 5岡庭は1年次の秋(Jユースカップの頃)からAチームでプレーする機会が増え、2年次は最終ラインのメインキャストとしてプレミアリーグEAST2位、カップ戦2冠に大きく貢献し、今季はキャプテンを任されています。

 ここまでの2年半、FC東京U-18の一員として日々の練習で、試合で、その他様々な場面で2年前のキャプテンである渡邉拓也(東洋大)、昨年のキャプテンである蓮川壮大(明治大)の一挙手一投足を見てきたと思います。その中で、渡邉が醸し出す何とも言えない人懐っこさや愛嬌、あるいは蓮川が1年間キャプテンとして振る舞う中で身に着けた精悍さや聡明さといったものを、5岡庭がどう捉えていたか?それは本人に聞いてみないとわかりません。

 ただ、少ないなりに、私なりに今季ここまでの5岡庭の立ち居振る舞い、言葉を見聞きさせてもらっている限りで言えば、渡邉、蓮川の良いところをしっかりと受け継ぎながら、しかし2人の真似をするわけではなく、自分をしっかりと持ってやれている、という印象を受けています。

 決勝戦のハーフタイム明け。東京U-18の選手たちが各々ロックアウトし、中にはスタンドにいた知り合いと思しき人から声を掛けられ、笑顔で手を振る選手もいた中、5岡庭は一人やや間を置いて、最後にピッチに戻ってきました。準決勝がどうだったか記憶になく、またなんとなく「先陣切ってやってくる」イメージがあったので少し驚きましたが、自分の「間」で歩を進め、左腕に腕章をしっかりと巻き直し、両足を揃えて立ち止まってピッチに深々と一礼したその姿からは、頼もしさしか感じませんでした。その後、スタンドからの「おかにー!」という歓声に手を上げて応えながら、先にピッチに入っていた10人のもとへ走っていく後ろ姿も、非常に画になっていました。

 これで終わり…とならないのがまた5岡庭の良さで。昨年もそうでしたが、優勝したことでゲキサカにおいて、多くの選手の言葉を見ることができました。各々にキャラクターがあり、各々の言葉に頷かされるところがありましたが、5岡庭は(恐らく)堂々と、フラットな気持ちで「王者のメンタリティ」という言葉を発しました。

これまでの日本人像であれば、「昨年は優勝できたけど、今年は挑戦者の気持ちで…」とか、「相手に胸を借りるような謙虚な気持ちで…」といった言葉を並べそうなもの。ともすれば、今回5岡庭が出したような言葉は「不遜」に映る、聞こえる人がいるかもしれません。

ですが、「昨年度も俺たちは、厳しいところをくぐり抜けてきたんだよ!」という自負、厳しい戦いをくぐり抜けたことで得た経験や自信をアドバンテージにしない方が、よくよく考えたらおかしいわけで。そこをきちんと理解してチームメイト(内)にも浸透させ、他方マスコミ(外)向けにも卑下することなく力強い言葉を並べられていたことに、私はただ感嘆するだけでした。

 

 

 5岡庭について書かれた先ほどのゲキサカ記事は、こう締めくくられています。

チームのために、そして自分のために、『百折不撓』のキャプテンは夏の間も歩みを止めない。

 非常に素晴らしいまとめだと思いますが、私がこれを真似て5岡庭に言葉を送るとしたら、こうなりますでしょうか。

チームのために、そして自分のために、『直往邁進』のキャプテンは夏の間も歩みを止めない。

 ためらわずに、真っ直ぐに。これからも5岡庭らしい心意気と言葉で、3冠へ向けてチームを引っ張っていいてほしいと思います。

 

17年Jリーグ観た記 其の42 J1 G大阪-C大阪

 サマーブレイク明け初戦にいきなりぶつかる大阪の両雄。今一つ乗り切れないまま中団を迎えたG大阪がホームに迎えるは、前半戦わずかに2敗、ここ9試合を8勝1分と突っ走っているC大阪。現状の立場は違えど、目指すは勝利のみ。「大阪夏の陣」を制したのは。

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「傍流」に求める最後の一手は吉か、凶か

 サッカーの、こと戦術面においては、その時々で「主流」と「傍流」が必ず存在して来ました。また、「主流」と「傍流」はその時々で立場を入れ替えながら、長い歴史を築いてきました。

 近10年、15年で言っても、攻撃ではかつて栄華を誇ったクライフの哲学を引き継いだグァルディオラ監督が見せたポゼッションサッカーが数多の監督、数多のチームに影響を及ぼしながら主流として鎮座していましたが、近年は短い時間で、短いパス交換で前に、縦に突っ込んでいく直線的なアタックが復権の兆しを見せ始めています。

 守備においても、プレッシング、ブロックディフェンス、リトリート、マンツーマン、ゾーンディフェンス、いろんな考え方が主流となり、いろんな考え方が傍流となり、連綿と歴史を紡いできました。

 そして、システムも様々な変遷を経てきました。大きなくくりで言えば、近現代は4バックが「主流(王道)」であり続けていますが、時代の端々で3バックが「傍流」の域を超えて、ムーブメント的なものも含めて、存在感を高めることもしばしばありました。

 

 

 近年、Jリーグにおいても3バックは「傍流」に留まらない広がりを見せています。その第一歩は、ペトロヴィッチ監督が率いた広島でしょう。

 といっても、正確には3バックである局面はほとんどなく、攻撃時はウイングバックを高い位置に上げ、センターハーフのうち1枚が下りての4バックを形成し4-1-5のような形を作り、守備時はネガティブトランジションにおいて両ウイングバックがすぐに自陣へ下がり、2シャドーが外側を見る5-4-1のような形を作り、「王道」である4バックの相手を攻略する「傍流」の視点で世の中の耳目を引きました。

 ただ、このやり方をそのまま引用するチームは、そう多くありません。そもそもペトロヴィッチ監督が独自に考案した戦術であるがゆえに、他の監督が指導方法を持ち合わせていない点はあるでしょう。けれど、私は後ろの4枚と前の5枚を繋ぐ1(=青山)をこなせる選手がどのチームにも存在し得ない点、仕掛けられるウイングバックを両翼に持ち合わせることが難しい点など、選手のスキルも去ることながらいかに「適した」選手を揃えられるが戦術のレベルを左右すると思っていて、物理的にそれが可能なチームが限られてしまうと考えています。

 結果として、守備時は5-4-1に可変するも、攻撃時は3-4-2-1そのままでプレーするペトロヴィッチ監督の「亜流」に留まるチームが多く見られ、結局は煮え切らないプレーに終始してしまうチームも少なくありません。

 

 世界に目を転じると、私がサッカーを見るようになってから3バックがまず「主流」を食いかけたのは、90年代後半のイタリア。受け売りの知識も含めて流れを整理すると、まず名を上げたのがザッケローニ元日本代表監督が率いていたウディネーゼウイングバックセンターハーフがフラットな形を取る3-4-3を形成。後ろの枚数を1枚減らしてでも中盤・前線に人数をかけ、前線3枚はパターン化された動きにより連携でゴールに迫る、守備時は当時2トップを採用するチームが多かった中にあって、両ストッパーによる対人のマンツーマンを基本としながら、真ん中の1枚は余らせ、両ストッパーが外へ釣り出された際にもセンターハーフのどちらかがしっかりと下りて中をケアする。そうした、それまでのイタリアにはなかった「傍流」のアイデアで、セリエA3位に食い込む健闘ぶりを見せました。

 その後、(もしかしたら3バックといえばこれを思い浮かべる人が多いかもしれない)トップ下を置く3-4-1-2が流行。当時のことを振り返る記事などを読むと、アリーゴ・サッキ率いるミランが編み出したゾーンプレスにより中盤フラットな4-4-2が「主流」として存するなか、例えばファビオ・カペッロフランチェスコ・トッティを、カルロ・アンチェロッティジネディーヌ・ジダンを、その他何人かの監督が「トップ下」という最も適した居場所を失ったファンタジスタ達の攻撃スキルを活かしつつ、前にパスターゲットを2枚確保しながらも、後ろに3+4枚を確保して守備のリスクマネジメントも考えた結果、3-4-1-2に至ったとのこと。

 しかし、トップ下が守備のタスクを怠ると途端に交代を余儀なくされ、両ウイングバックが自陣に押し込まれると、自陣での守備が5-2という極端かつバランスが悪い形となり、同時に後ろ7枚と前3枚が分断され、攻撃面にも停滞を及ぼすケースが増えたことで、数年後には再び4バックが「主流」となったようです。

 

 また、グァルディオラ監督が世に広めた攻撃時の4⇒3バック化。改めて説明するまでもないかもしれませんが簡単に要点をあげると、センターバックが大きく開き、サイドバックは敵陣に侵入。と同時に、アンカー(ピボーテ)がセンターバックの間に下りて3バック化する、という流れ。図にすると以下のような形。

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 特長は、後ろ3枚+両ウイングバック+前3枚が円を描くようなポジションを取り、ウォーミングアップでよく見られるロンド(鳥かご)を意識しながらプレーをすること。

 これだけ見れば、ちょっと頑張ればどこでも出来そうな気もしますが、世の中のどのチームも「亜流」に留まってしまった原因は、個々のスキルの差とチャビ&イニエスタの存在。各選手が10~15mのパスを寸分狂わずに出せるうえに、チャビとイニエスタが常に細かくポジションを変えながらボールホルダーに絡みながら、時には相手を収縮させ、時には相手を拡張させ、生半可なプレスやブロックディフェンスをズタズタにしてきました。

 センターバックの間に降りる選手(=ブスケッツ)の働きを出来る選手はいるでしょう。また、チャビかイニエスタの役割をこなせる選手を1人は抱えられているチームもあったでしょう。けれど、当たり前ですけどチャビとイニエスタが同時にいたチームはあの時のバルセロナしかなかったわけです。そして、チャビとイニエスタが同時にいた(ことに加えてブスケッツも現れた)ことが、グァルディオラ監督にとっては僥倖だったわけです。

 そう考えると、このやり方をしているバルセロナ以外のチームは、そりゃ成功しようがないわけで。それでも、今季の川崎フロンターレは谷口、エドゥアルドとボールを扱えるセンターバックがいて、ムラはあるもののエドゥアルド・ネットは1つ下りても仕事ができ、中村&大島はJ屈指のパス&ムーブデュオ。この中盤3枚が揃っているだけでも今のJにおいてはアドバンテージになり得るなか、車屋、田坂、エウシーニョらサイドバックは自陣でも敵陣でもタスクをこなせ、両サイドハーフは多士済々。そこに今季加わった阿部が偽9番的な振る舞いも見せゴールを積み重ねるなど、リトル・バロセロナと呼んでもいいのかもしれません(こう見てたら、家長の居場所、ないね)。まあ、風間監督が去った翌年にこういう状況になっているのは皮肉なものですが、今季の川崎は、個人的にはタイトルを取ってしかるべきシーズンだと感じています。

 

 さらに時代は進むと、3バックとは当たり前にセットになると思っていた2センターハーフすら用いないアイデアも出てきました。それが、コンテ監督がユベントスで、そしてEURO2014においてイタリア代表で見せた3-1-4-2。

 3バックの前にはアンカーが1枚いるだけ。極端に攻めたいときには両インサイドハーフ、両ウイングバック、2トップと計6人が敵陣に入ったうえで、インサイドハーフが相手のサイドハーフセンターハーフの間にポジションを取れば、たちまち相手は中(インサイドハーフ)をケアすべきか外(ウイングバック)をケアすべきか難問を突きつけられる。あるいはインサイドハーフが少し外にポジションを取り、相手の中盤4枚の網目が広がれば、3バックもしくはアンカーからダイレクトに2トップにパスが入る。

 はたまた2トップが少し引いてきて、そこに相手最終ラインの誰かが食いついてギャップが生まれようものなら、ウイングバックインサイドハーフがすかさずそこをついて裏に抜け出し、スルーパスを受けるなど、特に相手が4-4の主流守備を見せてきた際に、メリットを多数見出せるアイデアは、非常に見ごたえがありました。また、このシステムは失った後に敵陣ですぐに守備に入り、人数がいることを利してそのまま敵陣で奪い返してしまう狙いも見て取れました。それが適わなかった際に後ろは手薄になるますが、そこは必要悪として受け入れるほかないでしょうか。

 ちなみにコンテは、ご存知の方も多いでしょうけど、チェルシーに場所を移しても3バックを採用(チェルシーでは中盤フラットな3-4-3かな?)しています。

 

 

 Jのとあるチームが、サマーブレイク中に3バックへ挑戦しているなんてニュースが聞こえてきました。

 そのチームは、豪華陣容を抱えるものの一歩進んで一歩下がる、まことに歯がゆいシーズンを送っていて、ことさら4-4-2という主流、王道のシステムを用いた戦術においては、就任から1年を経ても上積みを見せられず、伸び白ももはやないように感じていました。

 なので、3バックへのチャレンジには賛成!…と簡単にはいきません。要は何を、どこを今の課題と感じていて、その課題の何を、どこを解決すればこの現状を打破できると見ているか?そして、その自問に対する自答が傍流である3バックなのだ!と結果で、内容で内外に示すことができなければ、単なる思いつきで終わってしまいます。

 守備時の人数確保、それによる守備の安定を求めるのなら、守備時5-4-1、攻撃時3-4-2-1になる3バックを採用する手もあるでしょう。今季加入したかのパサーを1列前で活かしつつ、多士済々なフォワード陣を活かしたいのなら、3-4-1-2だってありでしょう。バルセロナ式の3バックはちょっと現実的ではないとしても、コンテ式の3バックは監督が就任当初、元来見せてきたアタッキングマインドを思い起こさせるには面白いアイデアかもしれません。

 まあ、本当に3バックをやるかどうか、その効果がいかほどなのかは数試合見る必要がありますが、膝を打つ一手となるか、引き出しの無さを寄り明らかにしてしまうだけなのか、今はお手並み拝見といったところでしょうか。