続々々・メガネのつぶやき

思ったことを、思ったなりに、思っただけ。

17年Jリーグ観た記 其の42 J1 G大阪-C大阪

 サマーブレイク明け初戦にいきなりぶつかる大阪の両雄。今一つ乗り切れないまま中団を迎えたG大阪がホームに迎えるは、前半戦わずかに2敗、ここ9試合を8勝1分と突っ走っているC大阪。現状の立場は違えど、目指すは勝利のみ。「大阪夏の陣」を制したのは。

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「傍流」に求める最後の一手は吉か、凶か

 サッカーの、こと戦術面においては、その時々で「主流」と「傍流」が必ず存在して来ました。また、「主流」と「傍流」はその時々で立場を入れ替えながら、長い歴史を築いてきました。

 近10年、15年で言っても、攻撃ではかつて栄華を誇ったクライフの哲学を引き継いだグァルディオラ監督が見せたポゼッションサッカーが数多の監督、数多のチームに影響を及ぼしながら主流として鎮座していましたが、近年は短い時間で、短いパス交換で前に、縦に突っ込んでいく直線的なアタックが復権の兆しを見せ始めています。

 守備においても、プレッシング、ブロックディフェンス、リトリート、マンツーマン、ゾーンディフェンス、いろんな考え方が主流となり、いろんな考え方が傍流となり、連綿と歴史を紡いできました。

 そして、システムも様々な変遷を経てきました。大きなくくりで言えば、近現代は4バックが「主流(王道)」であり続けていますが、時代の端々で3バックが「傍流」の域を超えて、ムーブメント的なものも含めて、存在感を高めることもしばしばありました。

 

 

 近年、Jリーグにおいても3バックは「傍流」に留まらない広がりを見せています。その第一歩は、ペトロヴィッチ監督が率いた広島でしょう。

 といっても、正確には3バックである局面はほとんどなく、攻撃時はウイングバックを高い位置に上げ、センターハーフのうち1枚が下りての4バックを形成し4-1-5のような形を作り、守備時はネガティブトランジションにおいて両ウイングバックがすぐに自陣へ下がり、2シャドーが外側を見る5-4-1のような形を作り、「王道」である4バックの相手を攻略する「傍流」の視点で世の中の耳目を引きました。

 ただ、このやり方をそのまま引用するチームは、そう多くありません。そもそもペトロヴィッチ監督が独自に考案した戦術であるがゆえに、他の監督が指導方法を持ち合わせていない点はあるでしょう。けれど、私は後ろの4枚と前の5枚を繋ぐ1(=青山)をこなせる選手がどのチームにも存在し得ない点、仕掛けられるウイングバックを両翼に持ち合わせることが難しい点など、選手のスキルも去ることながらいかに「適した」選手を揃えられるが戦術のレベルを左右すると思っていて、物理的にそれが可能なチームが限られてしまうと考えています。

 結果として、守備時は5-4-1に可変するも、攻撃時は3-4-2-1そのままでプレーするペトロヴィッチ監督の「亜流」に留まるチームが多く見られ、結局は煮え切らないプレーに終始してしまうチームも少なくありません。

 

 世界に目を転じると、私がサッカーを見るようになってから3バックがまず「主流」を食いかけたのは、90年代後半のイタリア。受け売りの知識も含めて流れを整理すると、まず名を上げたのがザッケローニ元日本代表監督が率いていたウディネーゼウイングバックセンターハーフがフラットな形を取る3-4-3を形成。後ろの枚数を1枚減らしてでも中盤・前線に人数をかけ、前線3枚はパターン化された動きにより連携でゴールに迫る、守備時は当時2トップを採用するチームが多かった中にあって、両ストッパーによる対人のマンツーマンを基本としながら、真ん中の1枚は余らせ、両ストッパーが外へ釣り出された際にもセンターハーフのどちらかがしっかりと下りて中をケアする。そうした、それまでのイタリアにはなかった「傍流」のアイデアで、セリエA3位に食い込む健闘ぶりを見せました。

 その後、(もしかしたら3バックといえばこれを思い浮かべる人が多いかもしれない)トップ下を置く3-4-1-2が流行。当時のことを振り返る記事などを読むと、アリーゴ・サッキ率いるミランが編み出したゾーンプレスにより中盤フラットな4-4-2が「主流」として存するなか、例えばファビオ・カペッロフランチェスコ・トッティを、カルロ・アンチェロッティジネディーヌ・ジダンを、その他何人かの監督が「トップ下」という最も適した居場所を失ったファンタジスタ達の攻撃スキルを活かしつつ、前にパスターゲットを2枚確保しながらも、後ろに3+4枚を確保して守備のリスクマネジメントも考えた結果、3-4-1-2に至ったとのこと。

 しかし、トップ下が守備のタスクを怠ると途端に交代を余儀なくされ、両ウイングバックが自陣に押し込まれると、自陣での守備が5-2という極端かつバランスが悪い形となり、同時に後ろ7枚と前3枚が分断され、攻撃面にも停滞を及ぼすケースが増えたことで、数年後には再び4バックが「主流」となったようです。

 

 また、グァルディオラ監督が世に広めた攻撃時の4⇒3バック化。改めて説明するまでもないかもしれませんが簡単に要点をあげると、センターバックが大きく開き、サイドバックは敵陣に侵入。と同時に、アンカー(ピボーテ)がセンターバックの間に下りて3バック化する、という流れ。図にすると以下のような形。

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 特長は、後ろ3枚+両ウイングバック+前3枚が円を描くようなポジションを取り、ウォーミングアップでよく見られるロンド(鳥かご)を意識しながらプレーをすること。

 これだけ見れば、ちょっと頑張ればどこでも出来そうな気もしますが、世の中のどのチームも「亜流」に留まってしまった原因は、個々のスキルの差とチャビ&イニエスタの存在。各選手が10~15mのパスを寸分狂わずに出せるうえに、チャビとイニエスタが常に細かくポジションを変えながらボールホルダーに絡みながら、時には相手を収縮させ、時には相手を拡張させ、生半可なプレスやブロックディフェンスをズタズタにしてきました。

 センターバックの間に降りる選手(=ブスケッツ)の働きを出来る選手はいるでしょう。また、チャビかイニエスタの役割をこなせる選手を1人は抱えられているチームもあったでしょう。けれど、当たり前ですけどチャビとイニエスタが同時にいたチームはあの時のバルセロナしかなかったわけです。そして、チャビとイニエスタが同時にいた(ことに加えてブスケッツも現れた)ことが、グァルディオラ監督にとっては僥倖だったわけです。

 そう考えると、このやり方をしているバルセロナ以外のチームは、そりゃ成功しようがないわけで。それでも、今季の川崎フロンターレは谷口、エドゥアルドとボールを扱えるセンターバックがいて、ムラはあるもののエドゥアルド・ネットは1つ下りても仕事ができ、中村&大島はJ屈指のパス&ムーブデュオ。この中盤3枚が揃っているだけでも今のJにおいてはアドバンテージになり得るなか、車屋、田坂、エウシーニョらサイドバックは自陣でも敵陣でもタスクをこなせ、両サイドハーフは多士済々。そこに今季加わった阿部が偽9番的な振る舞いも見せゴールを積み重ねるなど、リトル・バロセロナと呼んでもいいのかもしれません(こう見てたら、家長の居場所、ないね)。まあ、風間監督が去った翌年にこういう状況になっているのは皮肉なものですが、今季の川崎は、個人的にはタイトルを取ってしかるべきシーズンだと感じています。

 

 さらに時代は進むと、3バックとは当たり前にセットになると思っていた2センターハーフすら用いないアイデアも出てきました。それが、コンテ監督がユベントスで、そしてEURO2014においてイタリア代表で見せた3-1-4-2。

 3バックの前にはアンカーが1枚いるだけ。極端に攻めたいときには両インサイドハーフ、両ウイングバック、2トップと計6人が敵陣に入ったうえで、インサイドハーフが相手のサイドハーフセンターハーフの間にポジションを取れば、たちまち相手は中(インサイドハーフ)をケアすべきか外(ウイングバック)をケアすべきか難問を突きつけられる。あるいはインサイドハーフが少し外にポジションを取り、相手の中盤4枚の網目が広がれば、3バックもしくはアンカーからダイレクトに2トップにパスが入る。

 はたまた2トップが少し引いてきて、そこに相手最終ラインの誰かが食いついてギャップが生まれようものなら、ウイングバックインサイドハーフがすかさずそこをついて裏に抜け出し、スルーパスを受けるなど、特に相手が4-4の主流守備を見せてきた際に、メリットを多数見出せるアイデアは、非常に見ごたえがありました。また、このシステムは失った後に敵陣ですぐに守備に入り、人数がいることを利してそのまま敵陣で奪い返してしまう狙いも見て取れました。それが適わなかった際に後ろは手薄になるますが、そこは必要悪として受け入れるほかないでしょうか。

 ちなみにコンテは、ご存知の方も多いでしょうけど、チェルシーに場所を移しても3バックを採用(チェルシーでは中盤フラットな3-4-3かな?)しています。

 

 

 Jのとあるチームが、サマーブレイク中に3バックへ挑戦しているなんてニュースが聞こえてきました。

 そのチームは、豪華陣容を抱えるものの一歩進んで一歩下がる、まことに歯がゆいシーズンを送っていて、ことさら4-4-2という主流、王道のシステムを用いた戦術においては、就任から1年を経ても上積みを見せられず、伸び白ももはやないように感じていました。

 なので、3バックへのチャレンジには賛成!…と簡単にはいきません。要は何を、どこを今の課題と感じていて、その課題の何を、どこを解決すればこの現状を打破できると見ているか?そして、その自問に対する自答が傍流である3バックなのだ!と結果で、内容で内外に示すことができなければ、単なる思いつきで終わってしまいます。

 守備時の人数確保、それによる守備の安定を求めるのなら、守備時5-4-1、攻撃時3-4-2-1になる3バックを採用する手もあるでしょう。今季加入したかのパサーを1列前で活かしつつ、多士済々なフォワード陣を活かしたいのなら、3-4-1-2だってありでしょう。バルセロナ式の3バックはちょっと現実的ではないとしても、コンテ式の3バックは監督が就任当初、元来見せてきたアタッキングマインドを思い起こさせるには面白いアイデアかもしれません。

 まあ、本当に3バックをやるかどうか、その効果がいかほどなのかは数試合見る必要がありますが、膝を打つ一手となるか、引き出しの無さを寄り明らかにしてしまうだけなのか、今はお手並み拝見といったところでしょうか。

17年Jリーグ観た記 其の40 J2 名古屋-山形

 ともにこのところ勝ち点を伸ばせていない名古屋と山形。混戦状態とはいえ、J1昇格(プレーオフ)へ向けてはこれ以上足踏みが許されない中、反撃の勝ち点3を得たのは。

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「レゾンデートル」を確かめに

 これからライヴの感想を書こうとしている人がど頭に書くようなことではないが、私はライヴが得意ではない。もう少し厳密に書くと、ライヴ会場の雰囲気が得意ではない。今回のライヴもチケットを取ったはいいが、実は当日まで結構腰が重かった。

 そんなこと思って会場である昭和女子大学人見記念講堂へ足を運ぶやつは自分だけだろうな、と思いながらなんとか電車に乗り、三軒茶屋から講堂へ歩を進める中、多くのファンが思い思いの9mmTシャツを身にまとい、お一人様もグループも期待感を隠さず、全席指定なのに開場前から長蛇の列。「あー、これがなぁ、ちょっとなぁ」と一人苦笑しながらその列に並び、着席して開演を待つ。

 

 Gt.滝善充(以下「滝」)がライヴシーンから離れて久しい中、今回のツアーではDr.かみじょうちひろ(以下「ちひろ」)が客席から見て右手前方に位置し、Vo.菅原卓郎(以下「卓郎」)とBa.中村和彦(以下「和彦」)と並んでパフォーマンスをする、ということは、ツアー1本目となる神奈川県民ホール公演のレポートを読んで知っていたが、それでも実際にその配置を見てみると、ちょっとした興奮は沸き立ってきた。

 また、今回のツアー3本では第一部を「LIVE OF BABEL」と称し、ニューアルバム「BABEL」を曲順そのまま、丸ごと10曲演奏。その後第二部を「OUTSIDE OF BABEL」と称し、新旧様々なナンバーをファンに届けていたこともレポートを読んで知っていた。その流れを受けたこの日のライヴ。さて、どういう構成で来るのか?それも始まる前は大きな興味の一つとなっていた。

 

 お馴染みのアタリ・ティーンエイジ・ライオットのSEがかかり、会場は暗転。メンバー3人とサポートギター武田将幸(HERE)&為川裕也(folca)、5人がステージ上に現れると、ファンは一気にボルテージを上げた。そして、注目の1曲目。奏でられたのはニューシングル「サクリファイス」だった。

 まあ、いきなり卓郎がイントロのリフを間違ってしまい、演奏を止めて「ごめーん!」からの再演奏というサプライズスタートではあったが(笑)、この時点でこれまでの3本とは全く違う、と全員が気付いたはず。個人的には嬉しいよう悲しいような、「そうそう、これで良いな」という思いと「ちょっとアルバムを1枚そのままやるライヴも見たかったな」という思いが交錯するスタートとなった。

 しかし、続く「インフェルノ」「The Revolutionary」と続くなか、私はこの日2階席で見ていたが、5人全員のプレイがしっかりと目に、耳に、舌に、そして心に飛び込んでくるロケーションだったことも相まって「そんなことはどうでもいいな!この場を楽しまないと!」という気持ちに、一気に改まった。

 

 ここから先もBABELとそれ以外の曲を織り交ぜる。「Story of Glory」ではちひろのドラムプレイに目を奪われ、「The Lightning」の間奏では武田&為川のギターの掛け合いに耳を奪われる。と、ここでふと思ったのが、「あれ、今日卓郎ギターめっちゃ変えてない?」「あれ、今日曲と曲が繋げずにしっかりとフィニッシュして間を置いてて、なんかアルバム聴いてるみたいだなぁ」という2点。

 ここまでそれっぽいことを書いてきておいてなんだが、9mmライヴ、私はこの日がたったの3度目。1度目は11年「Movement YOKOHAMA@横浜アリーナ」、2度目が13年「カオスの百年 vol.9@横浜BLITZ」、そして3度目がこの日。もちろん、その他映像でライヴを見てはいたのでその印象も含めて書けば、BPMを上げ、3~4曲を切れ目なく繋げ、畳み掛けるような迫力と疾走感でファンを盛り上げてくれていたことを踏まえると、なんだか新しいというか、ちょっと不思議な感覚はあった。

 どの曲の後だったか忘れたが、卓郎がMCで「これまでのTOUR OF BABELとは違う、モバイル会員のみんなにだからこそ」「だから律儀にTOUR OF BABEL『Ⅱ』にした」という話をしていた。なので推測の域は出ないが、ライヴらしい疾走感を損なうことは全くなかったけれど、主眼はじっくり聴かせることだったのかな?と一晩経って感じるところではある。

 その印象は続く「火の鳥」「眠り姫」でもあって、「火の鳥」はおそらく少しキーを下げ、かつトリプルギターであることをフルに生かしてCD版とはいささか印象が異なる演奏をしていた一方、「眠り姫」はなるべくCD版に近いまま、BPMもほぼそのままを保って曲が持つ世界観をダイレクトに演奏と、実に趣向を凝らしていた。曲順がひっくり返っていた(アルバムでは5曲目眠り姫→6曲目火の鳥)のも面白かった。

 また、「Lost!」や(ちょっと先になるが)「カモメ」ではMVでダンスを披露していた香取直登さん、入手杏奈さん、Lost!ガールズ(by 卓郎)が舞台狭しとダンスパフォーマンス。これもまた、MVまでしっかり見ていたであろうモバイル会員向けのライヴだからこそ成立するひとコマだった。

 

 「Lost!」に続いた「光の雨が降る夜に」「キャンドルの灯を」は、一晩経って振り返ると、個人的にこの日一番グッときたパートだった。9mmのどのアルバムが一番好きか?と問われればRevolutionary!と即答する私。特にアルバム後半5曲(命ノゼンマイ~The Revolutinary)の流れが好きすぎるのだが、なかなかライヴでこの5曲が近い場所で絡まりあう場面が少ないと感じていた中、まさかここで繋げてくれるとは思っていなかったので、これはもう素直にありがとう、ありがとう!とだけ(笑)

 その後「バベルのこどもたち」で和彦がこの日最初のシャウトをかましてくれたあと、卓郎が「バベルのおともだち」として招き入れたのが石毛輝lovefilm, the telephones)。旧知の仲であることもあって、何の違和感もなく場に溶け込み、「I.C.R.A」「Supernova」を披露。そして、石毛の「いけるかー!」からthe telephonesの「Monkey Discooooooo」を、the telephonesバージョンで。ミラーボールが回り、照明の演出はどこかオールディな雰囲気も漂わせつつ、爆発しそうな勢いで奏でられた1曲に、ファンは惜しみないリアクションを送る。正直、私はMonkey Discoooooooうろ覚え程度だったので申し訳ない気持ちにすらさせられたが(苦笑)

 一息ついて5人に戻り、3拍子が心地よくムーディな「ホワイトアウト」で一度リズムを整えたかと思えば、メタルと歌謡曲が混在したいかにも9mm!という「それから」で再び場を熱くする。ちなみに「それから」の破壊的なアウトロが本当に素晴らしくてね。とまあそれはさて置き、前述した入手さんの、内面から湧き立つ感情を見事に表現したダンスをバックにした「カモメ」で再びメロウな空気感にしたかと思えば、「ガラスの街のアリス」「Everyone is fighting on this stage of lonery」とBABELの曲をたたみ掛け、時間的にも雰囲気的にも、いよいよフィナーレへ向かう道筋を見せる。

 そのフィナーレは、「ハートに火をつけて」から。卓郎がギターを置き、スタンドではなくハンドマイクで歌いファンを盛り上げつつ、間奏ではメンバー紹介。武田、為川、和彦、ちひろ、各々が凝縮したソロプレイを見せたかと思えば、再び石毛がステージに呼ばれ、ソロプレイを披露。もはや9mmのライヴではキラーナンバーとなっているこの曲だがこの日もご他聞に漏れず、スカのリズムと各パートのテクニックは心も身体も踊らずにはいられない何かを私たちに与えてくれる。たまらない。

 そして、これまたライヴではお馴染みのライヴ限定イントロ、会場全体の「ワン、ツー、スリー、フォー!」からの「Talking machine」へ。ちなみに、私の聞き間違いではなければ、このイントロに「Seven Nation Army」の(スポーツ好きなら絶対に分かってくれるであろう)リフが織り込まれていたように思うのだが、誰かそうだったか教えていただきたい!

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 とまあ余談はさておき、最後は「Punishment」。普段滝が弾き鳴らす冒頭のパートを卓郎が弾き鳴らし、ロケット砲にて紙テープが舞い、興奮はピークに達する。

 前半で「この日は曲間をしっかり取る」と書いたが、このラスト3曲は音が切れることなく、流れが止まることなく、いつもの見慣れたライヴ版9mmがそこにあった。隠さず書くと、ライヴ立ち上がりはやはり5人の光景に数ミリの違和感もあった。しかし、終わりを迎えようとする頃にはそんなことを1ミリも感じることはなく、5人の(石毛さんも含めれば6人の)9mmのエネルギー、テクニック、リレーションシップをただただ素直に、ありのままに受け止め、少し感慨深い思いも感じながら見ていたように思う。

 

 これにて閉演。しかし、ライヴ中にも卓郎が触れていたが、この後滝が戻ってくる。そもそもライヴがあまり得意じゃない私がこのライヴのチケットを購入するに至ったのは、何かの音楽ニュースサイトで滝が戻ってくると見かけたからだ。

 一度全員が下がり、ファンは手拍子を止めることなく再登場を待ち焦がれる。そして数分後、場が暗転し、再び場内に流れるはアタリ・ティーンエイジ・ライオット。ちひろが、和彦が、卓郎が登場し、少し間を置いて滝が現れた。

 その瞬間、私の隣で見ていたカップルは揃って涙を堪えきれないでいた。1階席を見下ろすと、同様のリアクションがチラホラ見られ、ライヴ終了後のツイッターには「涙」「泣ける」「泣いた」、そんな文字が躍っていた。

 その気持ちは、私も一9mmファンとして十二分に理解する。ただ、私は涙、泣ける、そういう感情にはならなかった。再び4人がステージに揃い踏みする姿は、非常に感動的ではあった。ただ、涙でカムバックを出迎えるのは、お帰りを伝えるのは、何か違う気がしていた。

 戻ってきた滝は、滝のままだった。タッピングの鋭さも、飛び跳ねる姿も、縦横無尽に動き回り、両手を広げてファンを煽る動きも、どれをとっても滝だった。本人としては、100%ではなかったかもしれない。けれど、みんなが知っている滝がそこにいたのならば、やはり受け止める側も過度に感傷的になるのではなく、「相変わらずじゃん!」「良い意味でアホやなー!」と、いつも通りで良いと私は確信していた。

 

 また、屁理屈に映るかもしれないが、私は4人でステージに立ったこの時間をアンコールだとも思っていない。4人で演奏した「ロング・グッドバイ」「新しい光」はたった2曲の、けれど、これまでにないほど濃密な、濃厚な、熱量のこもったライヴ、言い換えれば「TOUR OF BABEL『Ⅲ』」だったと思っている。

 そして、ここにBABELの中で「ロング・グッドバイ」を残した意味をどこに見出すか?それは、ファン一人ひとりで思うところが違ってくるだろう。私は、その意味をこの歌詞に見出したい。

孤独な光たちが白い手を伸ばした

僕には君がいれば何もいらなかった

 卓郎は、MCの中で「ありがとうって言い過ぎて、ありがとう度が薄まっちゃうかもしれないけど…」と語っていた。もちろん、そんなことはないのだが、昨年後半からの苦しい心中も、短い言葉ながら隠さずに吐露してくれた。

 そんな苦しい時期、白い手を伸ばしたのが誰で、伸ばしてもらったのが誰か。「僕」は誰で、「君」は誰か。それは、私たちファンが知ることが出来る部分も、知る由もない部分も含めて、その場面場面で代わっていたと推測するほかない。

 それでもあえておこがましくも書かせてもらえば、9mmに関わる全ての人が手を差し伸べ、9mmのメンバーが差し伸べてもらっていたと思うし、僕が卓郎だとすれば、メンバーも含めた関わる全ての人が君であり、僕が卓郎、和彦、ちひろだとすれば、君は滝だったのではないだろうか。

 

 

 「TOUR OF BABEL Ⅱ」は武田、為川、石毛も9mmメンバーであり、5人の、6人の9mmが作り上げた極上の空間だった。対して、「TOUR OF BABEL Ⅲ」は9mm Parabellum Bulletというバンドが私たちファンの人生の中にいてくれることの喜びを、幸せを、感謝を改めて感じさせてくれる時間だった。比較なんて必要ないだろう。これまで好き勝手に感想を書いてきたが、ただ一言に集約するなら「どちらも素晴らしかった」、これに尽きる。

 冒頭からライヴ会場が得意ではないと書いてきた。いつも当日ギリギリまで腰が重いのも間違いない。けれど、終わった後はいつもこう思う。「また、行こう」って。今回もそう思わせてくれた9mmの皆さんには、ありがとうと伝えたい。